鉄は静かに咲きはじめる
鋳物工場の検品係の彼の仕事は、冷えた鋳物を小さなハンマーで叩き、その音で選び分けることだった。良い鉄は澄んだ音で応え、割れた鉄は濁った音で詫びる。十七年、彼は一日に三千個の鉄を叩いてきた。その…
5分で読めて、最後にひとひねり。毎日ひとつ、短編をお届けします
鋳物工場の検品係の彼の仕事は、冷えた鋳物を小さなハンマーで叩き、その音で選び分けることだった。良い鉄は澄んだ音で応え、割れた鉄は濁った音で詫びる。十七年、彼は一日に三千個の鉄を叩いてきた。その…
なぜ、封印の確認は人間でなければならないのか。深夜の貨物駅。構内を、コンテナを載せた列が過ぎていく。彼はそのたびに封印番号を端末に打ち込み、異常がなければ、署名する。規程に、封印の確認は人間の…
地下三階の閉架書庫に、季節は届かない。届くのは紙の匂いと、換気扇の唸りだけだ。書庫当直の彼の仕事は、還元予定の本を台車から下ろし、電子文と見比べて「確認」を押すことだ。三年間、紙と電子が食い違…
二月、この山に雪は一度も積もらなかった。標高千九百メートル。山頂の気象観測所に残っているのは、彼女と、七十二年分の記録帖だけだった。そのどの頁をめくっても、雪のない二月は見つからない。となりの…
冬のあいだ、彼の仕事は海の家の管理人だった。十二月の砂浜は、どこまでも貸し切りだった。オーナーは県外に住み、この海岸に同じ形の海の家を十二軒並べている。夏の三ヶ月だけ人が入り、十月には建物ごと…
九十九段の螺旋階段を、点検員の彼は数えながら登った。三十年間、毎晩数えた。今夜で数え納めである。午前零時、この灯台は消灯する。事務所の書類にそうあった。維持費は年間四千万円。この海の航海の九十…
一月の白根沢は、雪が谷を埋めると、音は下から順に消える。湯宿「松乃井」の板場に立つと、客の膳は朝晩で四つあれば足りる。下の谷に大きなリゾートが開いてから、観光バスは一度もこの宿まで上がってこな…
標高千六百メートルの峠に、集配所がひとつある。窓の外はいつも、雲より上だった。夜明け前、平地のハブからトラックが登ってきて、荷を降ろしていく。それを彼は軽ワゴンに積み替え、三つの集落と、ひとつ…
コンビニのバックヤードの蛍光灯が、いつもより青く点滅していた。店員である私は、その異常な光の周期を、無意識に数えていた。売上のグラフも、来店客の動線も、全てが最適化されすぎた世界。まるで、人間…
統計局のトラックが打上場に届くころ、夏至が近い。木箱には名前の代わりに、十一桁の番号が焼き印してある。五年前、「収入の可視化に関する法律」ができてから、この国の所得は毎年ひと晩、火薬に換算され…
ハミングランドは三月三十一日に閉園になる。彼女は、その最後の数か月ぶんの勤務表を作る係だった。本社から貸与された勤務管理システム「メトロノーム」に、アルバイトたちの希望日を打ち込む。時給は高い…
コンビニ店員の彼は、いつものようにレジを閉めた。今日もまた、完璧すぎる笑顔と、無機質な「ポイントカードのご案内」という定型文で一日が終わる。だが、彼の視界の隅で、電光掲示板の文字が、ほんの一瞬…
深夜三時に周波数を合わせると、ノイズの海の向こうから、誰かが手紙を読む声が始まる。その帯は、番組表のどのページにも載っていない。コールサインを告げる声もない。曲が流れたこともない。
未来への賭けが経済のすべてになった社会では、誰にも賭けられなかった可能性は、捨てられなかった。それらは一冊の本として、地下書庫へと送られてくる。整理係の彼は、敗者たちの背表紙に目録番号を刷る仕…
集落の灯が七つに減った夜、離島診療所の時計だけが三十分遅れていた。受付の私は、未納の診察券を束ねながら、海の外で誰かがこの島を名簿ごと書き換えている気配を感じていた。それは悪意ではなく、配慮の…
槍ヶ岳の肩に近い三千メートルの山頂に、気象観測所が一軒ある。彼女はそこで、気圧と風向きと降水量を、一日四回、紙に書き留めている。国は三年前、人間の観測員を段階的に廃止すると発表した。AIの予報…
連続 25日連載中5分で読めて、最後にひとひねり。毎日ひとつ、短編をお届けします