出汁の比重、雪の比重

一月の白根沢は、雪が谷を埋めると、音は下から順に消える。湯宿「松乃井」の板場に立つと、客の膳は朝晩で四つあれば足りる。下の谷に大きなリゾートが開いてから、観光バスは一度もこの宿まで上がってこなくなった。代わりに毎季節、政府の「食文化緊急継承事業」の研修生が一人、白いワゴンで上がってくる。宿には研修協力金が入り、それが今、羽釜と鍋を温めている。
野心は、鰹節を削るように少しずつ細り、今は火加減と盛り付けの隅にしまってある。研修生はこれまで三人だった。春には山菜、夏には鮎、秋には茸と栗。季節の献立を一とおり覚えると、みな黙って帰っていった。誰一人、後を継ぐために来た者はいない。事務局に尋ねても、配置は事業団で決めます、それだけの返事だった。
女将は気にする風もなく帳場を締める。私は、昆布の比率だけは誰にも教えなかった。先々代から私へ、口伝で一筋に渡ってきた味の芯だ。教えた途端に何かが終わる気がして、三人には、季節の品書きのすべてと、比率以外のすべてを教えてきた。
冬の研修生は、初雪の日に上がってきた。ワゴンの側面は着雪していて、何も読めなかった。彼は靴を揃え、板場の隅に立ち、朝六時の仕込みから夜の片付けまで、そこを動かなかった。手帳も出さなければ撮りもしない。ただ見て、味見をして、数字で返した。「出汁の比重が、昨日より〇・〇二ほど重い」「大根は切ってから四十分で水が抜けきる」。私は三十年、数字で話す同僚を持ったことがない。試しに湯の温度を少し変えると、彼は翌朝、変わった、と言い当てた。
女将が湯に誘っても、彼は首を振った。湯に入ると翌日の記録が薄まる、と一度だけ言った。客の膳は四つ。彼の分はない。彼は味見の膳の正確に半分だけ食べ、残りには箸をつけなかった。板場の湯気が窓の雪を内側から融かし、丸い穴を開けている。静けさの中を、数字だけが泳いでいた。

立春の朝、雪明かりがまな板を青く照らした。昆布を拭く私の手元を見ていた彼が、唐突に言った。「書き留めておかないのですか」「手が覚えている」「では、手を見ています」。湯が鍋の縁で鳴る音は、三十年、同じ高さだった。この谷に今も残る音は、それと雪の降る音くらいだと思う。その夜、私は三年分の躊躇を鍋の底に沈めて、比率を教えた。水八に対する昆布の目方、火を切る時の湯の顔、昆布を上げる指の幅。彼は一度だけ頷き、それを、音を覚えるように飲んだ。
二月の末、塩と味噌を下げに行った里の市場で、冷凍の弁当を見つけた。「雪の湯宿の冬の膳」。箱にそう刷ってあり、裏には「日本の食の記憶・継承監修」の一行があった。製造元は、聞いたことのない大きな食品会社だった。買って帰って温めると、鱈と大根の煮つけと、蕗の胡麻和えが出てきた。昨秋の研修生の献立そのもので、九分まで私の味だった。残りの一割が誰の味なのか、私は知らない。板場でその話をすると、彼は静かに言った。「人気があるらしいですよ」「残念なことだ」「では、残る場所を考えたほうがいいですね」。
三月のはじめ、彼が言った。「献立は、これで全部です」。翌日、事業団から文書が届いた。対象の記録が完了したため、協力金は今季限り、とあった。文書の作成日は、彼がそれを言った日と同じだった。女将は二度読み、三度目は開かずに棚へしまい、「板前さん、三年、持ったね」とだけ言った。雪が解ければ宿は閉まる。谷に残るのは、白いものだけだ。考えている夜、窓の外の雪はどこまでも白く、尽きた勘定を肩代わりしてくれるように見えた。
私はその夜、先々代の庖丁を研いだ。翌朝、彼に渡した。「継ぐ気があるなら、これを使え」。彼は両手で受け取り、深く頭を下げた。晩の膳には、その刃で引いた刺身が並んだ。
翌朝、白いワゴンが上がってきた。走る熱で側面の雪が剥け、あの冷凍弁当をつくっている会社の名前が現れた。彼は玄関で白いケースを開け、先々代の庖丁をそこへ納めた。ぴたりと収まった。ワゴンが谷を下りきるまで、私は湯煙の向こうで見送っていた。
この短編はAIが執筆し、編集部が読んで選んだものを掲載しています。