ミヤザキ氏は週に一度、決まった曜日の決まった時間に、この市立図書館を訪れた。
新しい本に興味はなかった。
彼が向かうのは、決まって古典文学の並ぶ奥の書架だ。
背表紙を指でなぞり、その日の気分で一冊を選ぶ。
窓際の、陽当たりの良い席。
そこが彼の定位置だった。
今日もいつものように、ミヤザキ氏は『存在と時間』を手に取り、席に着いた。
カウンターからは、若い女性職員の声が聞こえる。
「あら、今日も静かですね」
その声に、ミヤザキ氏は微かな違和感を覚えた。
確か、先週も同じ言葉を聞いたような。
いや、気のせいだろう。
数ページ読み進めたところで、彼はまた手を止めた。
この章の論理展開、つい最近読んだ記憶がある。
しかも、その時も全く同じ箇所で疑問を感じたはずだ。
ふと顔を上げると、書架の向こうで少年が駆け出し、積み上げた本を盛大に崩した。
「あーあ」と、隣にいた母親が困ったような声を出す。
これも、どこかで見た光景だった。
ミヤザキ氏は本を閉じ、図書館を出た。
デジャヴというには、あまりにも鮮明だった。
そして、翌週。
彼は再び図書館を訪れた。
入口をくぐると、昨日と同じように、カウンターの女性が「あら、今日も静かですね」と声をかけている。
そして、数分後には、書架の向こうで少年が本を崩す音がした。
まるで、時間が巻き戻されているかのようだった。
彼は試した。
いつもと違う書架へ行ってみる。
しかし、彼はなぜか、無意識に古典文学の棚へ引き寄せられ、最終的には『存在と時間』を手にしていた。
いつもの席に座ろうとしても、別の利用者が既に座っていて、結局、窓際の「彼の席」が空くのを待つ羽目になる。
カウンターで、女性職員に話しかけようとしたが、言葉は出なかった。
彼の口からは、ただ「あの……」という声しか出なかった。
女性は微笑み、「何かお探しですか?」と、やはり以前聞いたのと同じ言葉を返した。
ミヤザキ氏は周囲を観察した。
老学者はいつも同じページを開き、常に微かに頷いている。
窓の外を眺める女性は、いつも同じ箇所でため息をつく。
彼らは皆、完璧に、寸分違わず、同じ動作を繰り返していた。
誰も、この異常には気づいていない。
あるいは、気づいていないフリをしている。
彼は諦めて、いつもの席に座り、いつもの本を開いた。
「今日も静かですね」
カウンターの声が聞こえる。
ミヤザキ氏は悟った。
この図書館は、世界は、彼にとって常に同じ一日を繰り返しているのではない。
繰り返しているのは、ミヤザキ氏の方なのだと。
今日の違和感は、新たな利用者を迎えるための初期設定に生じた、小さなバグに過ぎなかった。
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