夜の静寂が街を包んでいた。
しかし、いつもとは違う緊張感が漂っている。
ケイはニュースの指示に従い、サトシとともに地下シェルターへ向かった。
「万一の事態に備えて、ですね」
サトシが冷静に言った。
自宅の庭に設けられた最新鋭のシェルターは、数々の非常事態を想定して設計されていた。
分厚い鋼鉄製の扉が重々しく閉まる。
外の世界とは完全に遮断された。
内部は空気清浄機がかすかに音を立てる他は、沈黙に包まれていた。
壁に取り付けられたデジタル時計を確認した。
表示は「00:00:00」で止まっている。
「故障でしょうか」
ケイが尋ねた。
サトシはいくつかの計器を調べたが、どれも反応しない。
しかし、呼吸は楽だった。
空気はきちんと供給されている。
非常用ライトは点いていた。
「時間が止まっている、としか考えられません」
サトシが結論づけた。
ケイは、止まった時計の表示をじっと見つめた。
本当に止まっているのか、それとも最初から動いていなかったのか。
隣接する寝室から、かすかに衣擦れの音が聞こえた。
ケイとサトシは顔を見合わせた。
シェルターには二人しかいないはずだ。
そっと寝室の扉を開ける。
そこにいたのは、ケイとサトシだった。
ただし、彼らの服装は異なっていた。
一組はカジュアルな普段着、もう一組はスーツを着ていた。
彼らはそれぞれ、タブレットを操作したり、本を読んでいたりした。
互いにこちらの存在に気づかない様子だった。
さらに奥の備蓄室にも、別のケイとサトシの姿があった。
彼らはレトルト食品を分類していた。
こちらとも違う、作業着のようなものを身につけている。
シェルターの中には、複数の「自分たち」が存在していたのだ。
「多世界の重ね合わせ、でしょうか」
サトシが低い声で呟いた。
ケイは思考を巡らせた。
ニュースを聞き逃し、シェルターに入らなかった自分。
あるいは、まったく違う理由でシェルターに避難した自分。
無数の選択肢が、この空間に収束しているかのようだった。
どの「自分たち」も、時間を気にしている様子はなかった。
止まった時計の「00:00:00」は、このシェルター内の「常識」だったのだろうか。
ケイとサトシは、互いの顔を見合った。
自分たちが、どこから来た「自分たち」なのか。
どの世界が本物なのか。
やがて、一番最初にシェルターに入った「自分たち」、つまりケイとサトシは、入口の扉に近づいた。
この異様な空間から抜け出すべきだと判断したのだ。
他の「自分たち」は、相変わらずそれぞれの作業を続けている。
彼らはこちらに一瞥もくれなかった。
重いレバーを下ろし、鋼鉄製の扉をゆっくりと開いた。
外からは、湿った土の匂いと、夜の冷たい空気が流れ込んできた。
漆黒の闇の向こうに、淡い月の光が差している。
そして、その月の光の下、シェルターの扉を開けようとしている無数のケイとサトシの姿が見えた。
彼らはまだ、自分たちがその中にいることを知らず、それぞれ異なる表情で、同じ扉を押し開けようとしていた。
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