S氏は最近、奇妙な映画館に通っていた。
「アカルイ劇場」というその名の通り、館内は常に白々と明るかった。
上映中も微かに光が差し込み、慣れるまでは落ち着かない。
だが、S氏にはそこへ行く理由があった。
料金が、安いのだ。
あるいは、安くなる、と言った方が正確かもしれない。
ある日の昼下がり、S氏はいつものようにチケットを購入した。
通常800円のところ、1000円札を出すと200円が戻ってきた。
それはいつものこと。チケット売り場のK氏は、今日も無表情だ。
上映が始まる前にポップコーンも買おうと、S氏はレジに並んだ。
メニューには「ポップコーン 500円」と表示されている。
1000円札をK氏に渡すと、彼女は300円のお釣りを返した。
「おや、今日は700円ではないのか?」
S氏は少し得した気分になった。劇場独自の気まぐれだろうと、深くは考えなかった。
翌週、S氏は再びアカルイ劇場を訪れた。
同じくポップコーンを注文し、500円の表示を確認した。
今度も1000円札をK氏に渡すと、彼女は無言で200円を返した。
「Kさん、これはおかしいですよ。前回は300円だった。今日は800円ですか?」
S氏は困惑して尋ねた。
K氏は微笑んだ。「お客様。この劇場では、それが正当な価値でございます。」
S氏は納得がいかなかったが、劇場特有のルールかと諦め、席に戻った。
一方、K氏は今日も平常運転だった。
アカルイ劇場で働き始めて3年。
彼女にとって、お金の価値は常に変動するものだった。
1000円札は、あるときは500円の価値に見え、またあるときは2000円の価値に見える。
劇場の明るい光が、紙幣に宿る「真の価値」を浮かび上がらせるのだと、オーナーは言っていた。
それは客の心理状態、その日の社会情勢、あるいは宇宙の摂理にまで影響されると。
K氏はただ、その時々に感じる価値に応じて、客から代金を受け取り、お釣りを渡すだけだった。
客は困惑したり、喜んだり、怒ったりする。
だが、最終的には皆、明るい光の中でその価値を受け入れていく。
この劇場は、世界の経済の縮図なのだと、彼女は信じていた。
数ヶ月後、S氏は大金を持ってアカルイ劇場を訪れた。
彼は人生で初めての宝くじに当たり、その当選金3億円を持っていたのだ。
この劇場なら、3億円はもっと大きな価値に膨らむのではないか。
S氏は期待に胸を膨らませていた。
彼は興奮を抑えつつ、ポップコーン売り場のK氏に3億円の束を見せた。
K氏はいつものように、感情を読み取れない微笑みを浮かべた。
そして、その高額な紙幣の束を一瞥すると、S氏に静かに告げた。
「お客様、誠に申し訳ございませんが、今日のところ、そのお札は当劇場では無価値と判断させていただきます。」
S氏は、持っていた宝くじの当選金が、明るい光の中でただの紙切れに見えるのを感じた。劇場に満ちる光が、彼の心の奥底にある「価値」を、残酷なまでに正確に映し出しているようだった。
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