夕暮れ時、公民館の一室は薄暗かった。
A氏は壁の掲示物を確認していた。
古びた木材と埃の匂いがする。
指先で画鋲の頭を押し込んだ。
その瞬間、奇妙な感覚が走った。
壁が、普段感じる硬さではなかったのだ。
まるで粘土のように、指がわずかに沈んだ。
「気のせいか」
A氏は首を傾げた。
目を凝らしてみるが、壁の色や形に変化はない。
程なくして、B氏が書道教室のために姿を現した。
彼はいつもの席につき、墨を擦り始める。
「今日の机、少し柔らかい気がしますね」
B氏はつぶやいた。
A氏が振り返ると、B氏の指先が机の表面にわずかにめり込んでいるように見えた。
木製の机が、まるでゴムのようにしなっていた。
さらにC夫人が編み物教室の準備にやってきた。
彼女は持参した毛糸の束をテーブルに置いた。
「まあ、奥さん。この毛糸、まるで石のようですよ」
C夫人は困ったような声を出した。
普段は柔らかいはずの毛糸が、カチカチに硬化している。
三人は互いの体験を話した。
A氏の壁は粘土。
B氏の机はゴム。
C夫人の毛糸は石。
試してみると、公民館内の他の物も同様だった。
プラスチック製の椅子は水のように揺らぎ、金属のドアノブはフワフワと綿菓子のようだった。
床は、歩くたびに柔らかく沈み込み、まるで深い砂浜を歩いているかのようだった。
「これは一体…」
B氏が呻いた。
しかし、どの物も見た目は何ら変わらない。
ただ、触った感覚だけが、完全に変質してしまっていた。
外の景色はいつも通りだった。
通りを行く車も、風に揺れる木の葉も、何の異変も見当たらない。
この公民館だけが、五感の一つを奪われた空間のようだった。
閉館時間になり、三人は混乱と奇妙な疲労感を抱えながら公民館を後にした。
「明日もこうなのかしら」
C夫人が不安そうに言った。
誰も答えられない。
翌日、彼らが再び公民館に足を踏み入れたとき、彼らは何も感じなかった。
昨日と同じように、壁は粘土であり、机はゴムであり、毛糸は石だった。
彼らはもはや、それらの触感に違和感を覚えることはなかった。
それは新しい日常であった。旧来の常識を誰もが忘れ去るまで、そう時間はかからないだろう。
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