タナカ氏は郵便局の自動ドアをくぐった。
朝の静けさが、低い空調の音とともに包み込む。
まだ開局したばかりで、窓口にはキタムラ局員が一人。
他に客の姿は見当たらない。
年金の手続きだ。タナカ氏は整理番号発券機へと向かった。
「A001」。印字された紙片を手に、待合席に腰を下ろす。
頭上の電光掲示板には「現在の待ち人数: 0人」と表示されている。
しかし、目を細めると、一瞬だけ「7人」に変わったような気がした。
気のせいか。瞬きをすると、すぐに「0人」に戻っていた。
その時、別の客が一人、入ってきた。
ヤマダ氏。見慣れない顔だが、この辺りの住民だろう。
彼はタナカ氏の隣の発券機で「A002」を受け取った。
電光掲示板は「現在の待ち人数: 1人」と表示を更新する。
「A001番でお待ちの方」
キタムラ局員の声が、静かな局内に響いた。
タナカ氏は立ち上がり、窓口へと進む。
振り向いた瞬間、掲示板の「1人」が「9人」に跳ね上がり、すぐさま「0人」に戻った。
隣にいたヤマダ氏が首を傾げるのが見えた。
「今、9って見えましたよね?」
ヤマダ氏が小声で問いかけた。
タナカ氏は無言で頷いた。
キタムラ局員は何も気づいていない様子で、淡々と書類を受け取った。
タナカ氏の口座残高を確認するキタムラ局員の画面が、ふと視界に入った。
「500,000円」と表示された数字が、一瞬「5,000,000円」に化け、そしてまた「500,000円」に戻った。
タナカ氏は息を飲んだ。
「50万円ですね」キタムラ局員は普段通りに言った。
周りを見渡す。
壁掛け時計の秒針が、奇妙なリズムで進んだり戻ったりしている。
郵便料金表の数字も、微妙に揺れているように見えた。
それはまるで、見えない糸で操られているかのようだ。
「待ってください!私の番号が!」
ヤマダ氏の叫び声が響き渡った。
彼の手に握られた紙片には「B017」と印字されていた。
「私はA002だったはずです!」
局内にいた他の数人の客も、自分の整理番号を見つめ、ざわつき始めた。
キタムラ局員が困惑した表情で、「お客様、お呼び出しはAの窓口で順次…」と言いかける。
その声が途切れた。
キタムラ局員の胸元にある名札の「キタムラ」という文字が、薄く霞んで「ゼット」というカタカナに変わっていた。
しかし、局員はそれに気づく様子もなく、ただ呆然と立ち尽くしている。
タナカ氏は自分の手に目をやった。
年金手続きの書類。氏名欄に記載されていたはずの彼の名前が消え、「個体識別番号:735」と表示されている。
その数字もまた、まるで生き物のように、ゆっくりと「736」へと変化していくのが見えた。
タナカ氏は窓口を離れ、郵便局の自動ドアを押し開けた。
外の世界も同じなのか。
彼は不安に駆られ、道行く人々を見つめた。
だが、誰もが自分の名前を失い、数字によって呼ばれる存在となっていた。
タナカ氏の「736」という番号も、すぐにまた別の数字へと変わっていくだろう。
#ショートショート#毎日投稿#AI#日常系#朝
コメント