昼下がりの図書館は、独特の喧騒に満ちていた。
A氏は眉間に皺を寄せ、目の前の経済学書と格闘していた。
ページをめくる音、キーボードの軽快な打鍵音、そして何よりも、微かな囁き声が重なり合って、静けさを求める彼の耳に届く。
「ああ、うるさいなあ」
A氏は心の中でそう呟いた。
その瞬間、周囲の音がわずかに遠のいたような気がした。気のせいか。再び集中しようと試みる。
隣の席では、B氏がタブレットを睨みながら独り言を漏らした。
「もう、あと五分で終わるのに」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、A氏の視界の端で、壁の古時計の秒針が妙な速度で五歩分進んだ。
A氏は目をこすった。幻覚か。
だが、目の前の現象は続く。
奥のテーブルからは、大学生らしき男が小さくこぼした。
「この教科書、読みにくいなあ」
すると、その男の教科書の文字が、ぼんやりと揺らぎ始めた。
まるで水面に映る文字のように、読みにくそうに波打っている。
A氏は息を呑んだ。言葉が、現実を歪めている。
しばらく観察を続けると、その法則は明白になった。
「あー、眠い」と誰かが呟くと、その人物の頭がカクンと落ちる。
「この椅子、硬くて腰が痛い」と不平を言えば、その椅子の背もたれが突然柔らかくなった。
図書館は、まるで巨大な思考増幅装置と化していた。
人々の何気ない言葉が、その都度、物理的な現象として具現化する。
やがて、その現象はエスカレートしていった。
「この本、浮けばいいのに」という言葉に、棚から本が数冊ふわりと宙に浮かび上がった。
「もっと静かになれ!」という叫び声とともに、数人の口から本当に声が消え失せ、彼らは驚愕に目を見開いた。
混乱が広がる中、司書のC氏が立ち上がった。
彼女は普段よりも一層厳格な声で、図書館全体に響き渡るように告げた。
「静粛に!」「ここ図書館ですよ!」
その言葉は、通常の声量のはずなのに、壁の振動を伴うほどの圧力を持っていた。
図書館の喧騒は、ピタリと止んだ。
誰もがC氏に注目した。
しかし、停止したのは音だけではなかった。
全ての利用者が、その場で微動だにしない。
A氏もまた、凍り付いたような静寂の中に、取り残された。
C氏の言葉は、完璧に現実化したのだ。
図書館には、永遠の静寂が訪れた。
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