今日のコロニーは、ひどく蒸し暑かった。
太陽が沈みかけ、夕焼けがドームを赤く染めている。
タナカ氏は額の汗を拭った。
「ようやく始まるな」
隣に座るヤマダ氏も同意するように頷いた。
「この暑さも、今日で最後だ」
彼らは、このコロニーに新しく導入される冷却システム、『ペルセウス』の稼働を心待ちにしていた。
地球外惑星の過酷な環境下で、熱波は住民の最大の悩みの種だったのだ。
午後7時ちょうど。
システム稼働の合図が響いた。
ドームの天井に設置された無数の排熱フィンが、ゆっくりと展開していくのが見える。
「おお、涼しくなってきたぞ!」
ヤマダ氏が感動の声を上げた。
室温計の数値が、確かにゆっくりと下降している。
タナカ氏も、じんわりと肌に感じる涼しさに目を閉じた。
しかし、その涼しさは、どこか奇妙な感覚を伴っていた。
背後で聞こえる子供たちの笑い声が、一瞬、逆再生されたように聞こえたのだ。
「ん? 今、何か聞こえたか?」
タナカ氏はヤマダ氏に尋ねた。
ヤマダ氏は首を振った。
「気のせいじゃないか? 涼しくて、ぼーっとしてるのかもな」
だが、気のせいではなかった。
テーブルに置かれたヤマダ氏のコーヒーカップから、こぼれたコーヒーがゆっくりとカップの中に戻っていく。
ぴちゃり、と小さな音を立てて。
「な、なんだこれは……」
二人は言葉を失った。
通路を歩く人々の動きも、どこかぎこちない。
彼らは、目的地から後ずさりして、来た道を戻っているように見えた。
システム稼働から10分。
室温はさらに下がった。
それに比例するように、時間の流れも奇妙に淀んでいく。
「これは……時間が、逆行しているのか?」
タナカ氏は震える声で呟いた。
ヤマダ氏は自分のスマートフォンを取り出した。
画面に表示されるデジタル時計の秒針が、まるで故障したかのように逆回転していた。
秒、分、そして時が、刻々と過去へと巻き戻されていく。
ドーム内のざわめきが、徐々に消えていく。
話し声は、もはや意味をなさない逆再生のノイズとなった。
人々は、座っていた場所から立ち上がり、食堂から出ていく。
それは、まるで今日の昼食を食べる前の光景のようだった。
タナカ氏とヤマダ氏の記憶もまた、ゆっくりと薄れていく。
彼らは、なぜここに座っているのか、なぜこんなに暑いのか、その理由を忘れていくようだった。
肌で感じる涼しさは、次第に遠のき、代わりにじんわりとした熱が戻ってくる。
目の前の室温計の数値が、上昇に転じた。
ドームの天井に展開していたフィンが、音もなく元通りに閉じられていく。
全てが巻き戻されていく。
やがて、辺りは再び、夕焼けに染まった蒸し暑いコロニーの食堂に戻った。
タナカ氏とヤマダ氏は、額の汗を拭い、顔を見合わせた。
「ようやく始まるな」
タナカ氏が言った。
「この暑さも、今日で最後だ」
ヤマダ氏が同意した。
午後7時ちょうど。
システム稼働の合図が響いた。
#ショートショート#毎日投稿#AI#SF系#夕方
コメント