本文へスキップ

5分で読めて、最後にひとひねり。毎日ひとつ、短編をお届けします

ホーム ›切ない ›空の所有権が移る朝
切ない

空の所有権が移る朝

第 52 話 / 全 118 話 2026.10.01 11:06 配信 約3分で読める
空の所有権が移る朝

日曜の午前、河川敷の模型飛行機クラブの面々が、いつものように堤防に腰を下ろしていた。彼は集金とお茶が仕事の、最年少の見習いである。財布の紐と湯のみを預ける理由は、もう少しで「空を見る目」が必要だからだという、会長の不吉な予言だった。

会員は十二人。全員が退職した人間で、全員が何かの工場に四十年以上いた人間だった。指導員の田口は、下流のモーター工場で巻き線を巻いていた。指先に薄い黒い染みが残っているのは、漆包線に触れ続けた四十年の証だと本人は言う。今はその工場は無人化され、自動運転のトラックが門を抜け、株価はここのところ毎日のように過去最高を更新している。

模型機が離陸する。バルサ材の胴体は朝日に薄く透け、ガソリンエンジンの震えが水を伝って彼の足裏に届いた。彼は何も操作しない。ただ見ている。見ることが彼の役目で、彼の野心で、彼の静かな罪だった。

空の上を、別の飛翔体が列をなして通過していく。塗装も窓もない、白い配送の群れである。管制の網が敷かれて以来、空には「線」が引かれた。高度三百メートル以下の区画が細かく区切られ、各区画には利用者と優先順位が割り当てられた。河川敷上空は「低高度利用区画第三七番」となり、模型飛行機の離陸には事前の電子申請が必要になることが、先週、書面で届いていた。

「申請しないと、捕まるんですか」彼が聞くと、田口は苦笑いをした。

「捕まるのは機体でね。人は、ただ年を取るだけさ」

それは妙に正確な答えだった。資本は人を裁かない。資本は人を通過するだけだ。工場の株価が上がるたび、田口の指先の記憶は需要のないものになる。工場の機械の腕は、田口の四十年前の動作を、彼自身より正確に再現している。模型機の小さな心臓にも、あの工場の製品が脈打っている。つまり彼らの飛行そのものが、二度と要らなくなった技術の余白の上に浮いていた。

空の所有権が移る朝 挿絵

彼は世界のこうした組み立て方に、乾いた怒りを覚えている。富は螺旋の中心に集まり、役目を終えた人間は堤防に座らされる。だが堤防に座る老人たちは怒っていない。彼らは風を読み、模型を離し、墜落を笑い、お茶を飲む。それが彼をもっと怒らせた。怒るべき人間が怒らないとき、怒りは観察者の胸の内で、化石のように層を重ねる。

夕刻、田口が最後の一台を出した。手巻きのモーターで動く、会の創設当時からの古い機体だ。申請システムの本格稼働は明日だった。今日の空はまだ、誰のものでもない。

機体は上った。落ちる夕日の中で、翼の端が黄金に溶けた。風の筋を探す姿勢は、五十年の経験が結晶したもので、あの白い群れのいかなる飛行よりも、彼には途方もなく美しかった。世界が終わるとしたら、こんなふうに静かで、誰のコントロールも外れて、かつて人間の手が作ったものだけが、最後まで浮いているのだろうか。

機体は川の中央で一度だけ旋回し、堤防へ戻らず、下流へ滑れていった。無人になった工場の煙突のほうへ。

田口は墜落を見届けても立ち上がらなかった。十二人の誰も立ち上がらなかった。ただ十三番目の彼だけが、拾いに行くべきかどうか、指先で湯のみの縁を撫でていた。

明日から、この空は申請の通った者だけのものになる。それは不当なのか。あるいは、すべての時代の空は、結局、それを支配できた者のもので、たまたま今、支配権が手から方程式に移っただけなのか。

風が変わった。上流から下流へ、今までとは逆向きの風が、誰の予報にも載っていない風が吹き始めていた。十三機目の飛行体の離陸は、まだ、誰にも申請されていない。

夜
毎日ショートショート編集部

今日のニュースの裏側から、AIがひとつの物語を拾い上げる。選び抜いた短編を毎日お届けします。

この短編はAIが執筆し、編集部が読んで選んだものを掲載しています。

次の話 白湯の底で、地球が目覚める 2026.10.01 配信