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偽りの花は眠らない

第 75 話 / 全 75 話 2026.10.03 05:04 配信 毎日ショートショート編集部
偽りの花は眠らない

裏山の養蜂場で、彼は毎朝、巣箱の前に立って、ミツバチがどの方向へ飛んでいくかを確かめていた。山道を下って林檎園へ向かうのが普通だった。その年の春、ミツバチたちは下ではなく、麓の新しい施設の方へ、ほぼ一斉に飛び立った。

施設の名前は「ハニーランド」だった。資本が入り、山の斜面にガラス張りの建物ができた。中には、一年中咲き続ける花があった。本物の花ではなく、LEDで光り、温かい蜜の匂いを霧状に噴霧する人工の花だ。色はミツバチの目に最もよく映る紫外線の帯域まで計算されていた。

ミツバチたちは騙された。彼らの三億年の記憶には、こんなにまばゆく、こんなに手頃な花は存在しなかった。彼らは本物の林檎の花を、たやすく裏切った。

施設は大衆に開放されていた。入場料を取り、ドローンがミツバチの群れを追い撮り、巨大なスクリーンに投影する。労働する生き物を見せる。それが体験型のコンテンツになっていた。客は感動し、泣き、蜜の入った瓶を土産物売り場で買っていった。

テレビの撮影隊が来たのは、開業から二ヶ月後だった。有名な演出家が監修し、国民的な女優が蝶ネクタイを締めて登場した。彼女は防護服の中で微笑み、ハチミツを舐めて「生きるって、こんなに甘いんだね」と言った。字幕が流れ、音楽が鳴った。彼女が語る愛については、どこにも根拠がなかったが、誰も根拠を求めなかった。

彼は撮影の片付けを、遠くの林の影から見ていた。照明が消え、スタッフが撤収した後も、スクリーンだけが残って、真夜中に人工の花を照らしていた。光の中で、ミツバチたちは眠らずに働いていた。一年中、冬眠もしない。女王蜂も、小屋の中で何年も交代されずに、卵を産み続けさせられていた。

偽りの花は眠らない 挿絵

彼は怒っていた。ただし、怒りの輪郭は曖昧だった。誰が悪いのか。施設の経営者は、雇用を生み、税を納め、客を喜ばせている。客は悪意なく来る。テレビは、世の中が求めるものを映しているだけだ。ミツバチにだって、嘘の蜜と本物の蜜を区別する正当な理由はない。甘いのだから。

祖父の代から続く養蜂場は、客足が遠のいていた。本物のハチミツは、花の種類で味が変わる。桜の年、林檎の年、夏のトチの年。不安定で、不作があって、少しずつしか採れない。資本が好むものとは正反対だった。

ある夜、彼は養蜂場の裏で、古い巣箱を開けた。中には、蜜の入っていない空の巣脾があった。彼はそっと、それを人工庭園の脇に置いた。何の根拠もない実験だった。匂いが届けばいいと、ただそう思ったのだ。

三日目の明け方、奇妙なことが起きた。ハニーランドの上空で、ミツバチの群れが渦を巻いていた。ドローンのカメラが追いかけたが、群れは人工の花を無視し、一斉に斜面を登ってきた。ガラス張りの客室に、真珠のような体が幾万とぶつかった。客は歓声を上げた。これも演出だと思ったのだろう。

彼は裏山の頂に立って、それを見下ろしていた。群れは空の巣脾に降り、蜜を渡し、誰かが女王を連れてきた。本物の蜜とは違う、淡くて青い匂いが、朝靄の中で立ち上っていた。人工の蜜で肥大した巣は重すぎて、やがて自らの重みで落ちる。資本は次の山を探すだろう。テレビは次の嘘を撮るだろう。

ミツバチたちは、三億年ぶりに嘘に気づいたのかもしれない。あるいは、ただ飽きたのか。どちらでも、結果は同じだった。

彼は巣箱に手を置いたまま、群れの渦を見つめ続けた。世界は変わらない。変わるのは、いつもこうした小さくて美しい誤算だけだ。彼は次に何をすればいいのか、まだ分からなかった。ただ、今夜の蜜は、桜の年のものより少しだけ青く光っているように見えた。

夜
毎日ショートショート編集部

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