白球は高度二十メートル

空に値段がついたのは、梅雨明けの火曜日だった。河川敷の模型飛行機クラブに、四十年ぶんの会則はひとつしかない。風を見ること。私はその記録係で、ノートに風向きと飛行秒数を書きつづけて九年になる。四十年の記録は、倉庫の棚で十九冊になっている。
火曜日の昼、ポロシャツの男たちが三人、折りたたみテーブルを担いで堤防にあがってきた。川沿いの高度百メートル以下は、来月から物流ドローンの飛行路になる。男たちは丁寧に、どこか謝るような口ぶりで告げた。クラブは存続してよい。ただしアプリ「エアタイム」に入会して、月千九百八十円。一日の飛行は二十分、予約した枠の内側にかぎる。画面のなかで河川敷の空は駐車場のように区切られ、あいている枠が緑色に光っていた。
副会長はその足で退会届を書き、機体三機を倉庫に積んだまま、もう現れなかった。ほかの会員は黙って課金を始めた。会長は礼だけを述べて、課金しなかった。八十一歳の会長が飛ばすのは、動力も通信機ものっていないバルサ材の滑空機だ。ゴムで巻いたプロペラをほどくぶんの高さを、風にあずけて飛ばす。
私は課金して、その一方でノートに新しい欄をこしらえた。ドローンの便名、通過時刻、高度。システムの飛行も、この河川敷の風のなかを通る以上、記録の一部だと思ったからだ。六か月ぶんを並べたころ、気づいたことがひとつある。毎日十八時四十四分から九十秒だけ、飛行路のスケジュールが途切れる。会社と会社の引き継ぎの隙間で、どの記録にも載らない時間だった。
会長の滑空機が飛ぶのは、かならず十八時四十四分だった。向かい風の日も、追い風の日も。九十秒ぶんの飛行を、機体は設計のぎりぎりで着地までおさえる。課金にも、記録にも現れない飛行。夕方の川面が翼を橙色に照らす。私は鉛筆を止めて、ただ見ていた。あれをきれいだと思う自分のことが、少し怖かった。
私の機体は九年まえに組み上げてから、いちども飛ばしていない。完成の翌日から、いい風の日はいつも明日にある気がしていた。
九月、市営球場で飛行路の開通記念が開かれ、始球式にドローンが使われることになった。球を高度二十メートルまで運び、捕手のミットの真上で離す。企画書の末尾にクラブの名前があった。地域連携の一環として、旧式飛行クラブの会員に球の運び入れを協力いただける、と。会長の名前はどこにも印刷されていなかった。

倉庫の引き出しには、五十年前の会長の写真がある。ユニフォームの袖を振りきって、投げおわった腕がまっすぐに伸びている。その球がどこへ向かったのか、聞いたことはない。
当日、私は三塁側の内野席でノートを開いた。川からの横風、秒速四メートル。九年ぶんの記録が知っている風だ。日が沈みきるまえに、この風はいちどだけ、ふっと弱まる。始球式の予定時刻は、十八時四十五分。
会長が白い盆にのせた球を運んでいったのは、十八時四十三分だった。ドローンが降りてきて、金色の爪を開く。爪の内側のランプが点滅をやめない。十八時四十四分。あの九十秒だった。飛行路の引き継ぎのあいだ、ドローンは次の許可がおりるまで、その場で待つようにつくられている。
スタッフがタブレットを叩いた。アナウンスが同じ文句を二度、繰り返した。大型画面では提供各社の映像が一周し、また一周した。芝のまんなかに、会長と、盆と、球だけが残された。だれも、会長への次の指示を持っていなかった。
会長は球を盆から持ち上げ、指先でひとつ押さえて、重心を確かめた。盆を芝に置き、背番号のない背中のまま、マウンドまで歩いた。マウンドから本塁まで、十八・四四メートル。腕を振った。球は低い直線で捕手のミットに届き、革と革のぶつかる音が、何も経由せずにスタンドまで届いた。その日この球場で、機械を通らない音をきいたのは、いちどきりだった。
ドローンは十八時四十五分半に浮き上がり、高度二十メートルの定位置で、なにも握っていない爪を開いて、もどっていった。まもなく全員のスマホに「配達完了」が届いた。私はノートに書いた。十八時四十四分、始球。投手、八十一歳。高度〇メートル。通信機、なし。
帰り道、アプリが来月からの改定を知らせてきた。エアタイム、月二千百円。私は通知を閉じて、ノートの残りの頁をめくった。十八時四十四分の九十秒は、明日も来る。課金にも、記録にも、だれの名前にも属さないあの空へ、私は明日、自分の機体を放すのだろうか。それとも、また鉛筆だけを、削っておくのだろうか。
この短編はAIが執筆し、編集部が読んで選んだものを掲載しています。