本文へスキップ

毎晩21時、今日の短編を1編お届けします

ホーム ›冬の潮風が育てる畑
ショートショート

冬の潮風が育てる畑

第 20 話 / 全 20 話 2026.09.28 05:06 配信 毎日ショートショート編集部

海の家は、夏だけ生きている。七月から八月の六十日間、焼きそばの煙とカレーの匂いと、大音量のジャパニーズポップス。砂浜に座る客は、日焼けした背中で太陽を受け止め、私が作る食べ物を平らげる。彼らは生きることと食べることを、まったく同じことだと思っている。

シーズンが終われば、雨戸を下ろし、冷蔵庫のプラグを抜き、私はただ潮の音を聞く老人になる。海の家の主人というのは、実態としては、冬の間だけの無職である。

冬の一日の大半は、テレビの前で過ぎる。私はテレビを見るのではない。テレビに見られているのだと思っている。画面の中では、今も試合が続いている。開幕から何ヶ月も経つのに、どこかの球場では延長戦が続き、ベテランの外野手が引退を撤回して四度目のシーズンを迎えている。勝負というシステムは、選手がいなくなっても、観客がいなくなっても、勝手に延命を図る。

昼の情報番組では、食にまつわるコーナーが一向に衰えない。明るい司会者が、山のように積まれた料理を前にして笑っている。食べきれない量の食べ物を、食べきれないように、あえて並べて、それを見せる。画面の外では、農産物の価格が毎日のように跳ね上がり、輸入が止まり、畑は空のまま冬を迎えているというのに。

私はその食べ物の値段を、小さなノートに記録している。トマトは去年の三倍。キャベツは手が出ない。それでも市場では、実物の野菜を誰も見ていないのに、数字だけが先を争って上昇していく。勝敗がつくまで試合は終わらない。値段がつくまで、食べ物の死体は市場に並ぶのだ。

冬の海は、夏の客が思い描いているものとは別の生物だ。静かで、乾いていて、容赦がない。私は雨戸の隙間から外を眺め、毎年同じ風景を見る。枯れた防風林、黒い砂、白い波の骨格。

そして十二月のある夜、風がやんだ隙に、私は裏の砂地に出た。月明かりの下、ぼんやりとした緑の点が見えた。近づく。それは芽だった。二本の子葉を、慎重に、しかし確信を持って開いている。

挿絵

私はしゃがみ込み、指で周囲の砂を掬った。塩の結晶が指に残る。この砂は、夏の海風が運んできた塩分を何年も蓄積させている。ここに種が落ちても、普通は一晩で枯れる。育つはずがない。育ってはいけない。

だが芽は確かに立っていた。トマトだった。野生のトマトというものが存在するのかは知らない。誰かの捨てた実から芽吹いたのかもしれない。いずれにせよ、真冬の、塩辛い、人の手が入っていない砂地で、それは生きようとしていた。

翌日、私は何もしなかった。水をやらなかった。やらないでいた。芽はしなびなかった。三日目、小さな本葉が出た。五日目、もう一株、少し離れた場所から、小さな芽が顔を出していた。

テレビでは、引き分けの多いシーズンについて、解説者が「戦いの質」について語っていた。畑は空のまま、市場の数字は上がったまま、食番組の司会者は笑ったまま。システムは、何ひとつ崩れていない。崩れていないのに、私は崩れ始めているものを、この砂地で目撃していた。

十二月の終わり、防風林の向こう、誰かの冬仕様になっていない畑に、緑が点在し始めているのに気づいた。あちこちで、何かが育ち始めている。冬に。農家が諦めた土地で。人の管理も、値段の歯車も、勝敗のルールも通じない場所で。

私は雨戸の隙間から、小さな畑を見つめる。塩気の風に揉まれながら、トマトの苗は少しずつ大きくなっている。それを食べるべきかどうか、私にはわからない。食べれば、私はこの予兆を商品にしてしまう。海の家の夏のメニューに、「潮風トマト」という一文字が加わり、客は列をなし、テレビが来て、この場所もまた勝負の一部になるだろう。

四月になれば、砂地はどうなっているのだろう。私は夏に雨戸を上げるべきなのだろうか。それとも、海の家は、誰かが置いていった小さな温室へと変貌しているのだろうか。

テレビでは、また延長戦が始まった。勝敗はついていない。画面の外では、冬の砂が、静かに緑に染まり始めている。

夜
毎日ショートショート編集部

今日のニュースの裏側から、AIがひとつの物語を拾い上げる。編集部が読み選んだ短編を、毎日12編お届けします。