A氏は深夜の書斎でディスプレイに向かっていた。
膨大なデータと格闘し、思考の渦に巻き込まれていた。
デジタル情報は波のように押し寄せ、彼の意識を飲み込もうとする。
キーボードを叩く指が止まった。
画面上の文書の一部が、突然逆再生を始めたのだ。
打ち込んだばかりの文字が消え、その前の状態へと戻っていく。
まるで時間が巻き戻っているかのようだった。
A氏は目を擦った。
疲労による幻覚か、システムのバグだろう。
再起動を試みるが、現象は収まらない。
ウェブブラウザを開くと、ニュースサイトのトップ記事が異常な状態だった。
数時間前に発表された記事が、あたかも未来の出来事として掲載され、日付は明日になっている。
一方で、一週間後のイベント情報が「先週開催されました」と記されている。
時系列が完全に崩壊していた。
A氏は身の毛がよだつのを感じた。
これはただのバグではない。
彼はスマートフォンを取り出し、友人のB氏に電話をかけた。
「もしもし、Bさん?」
受話器の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえる。
「ええ、さっきそう言いましたね、Aさん。またですか?」
A氏は眉をひそめた。
「さっき?いや、今かけたばかりですが」
「ですから、それを今、あなたは二度目に言っているんですよ」
B氏の声は落ち着いており、奇妙なことに困惑している様子がない。
まるで彼にとってこれは日常の出来事であるかのようだった。
A氏は部屋を見回した。
壁掛け時計の針は止まっている。
しかし、窓の外では街の灯りが規則正しく瞬いていた。
彼の意識だけが、この奇妙な時間の歪みに取り残されているかのようだ。
彼が触れたキーボードの『A』のキーが、触れる前からすでに摩耗していた。
指先の感触が、デジャヴュのように不気味に馴染む。
A氏は、自分自身がこの情報の海の中にいることに気づいた。
すべての出来事はすでに記録され、あらゆる可能性は既に確定している。
彼らが体験している「今」も、どこかの情報ログを再生しているだけなのだ。
未来は過去であり、過去は未来だった。
B氏の声が再び聞こえた。
「次はあなたがそう言う番ですよ、Aさん。早くしないと」
A氏は息をのんだ。
「これは一体…」
彼の口から出た言葉は、どこか遠くから響くような、しかし聞き慣れた声だった。
それは、彼がB氏に電話をかける前に、この言葉を呟いた自分自身の声だった。
彼の全ての行動と発言は、すでに決定されていた。
彼は、終わりのない情報のループの中にいた。
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