A氏は、目覚まし時計の音で目を覚ました。
昨夜セットしたはずの時間より、ほんの少し早く鳴った気がした。
正確な時間は思い出せない。
しかし、彼は違和感を覚えなかった。
むしろ、それが正しいように感じた。
身支度を整え、食卓へ向かう。
朝食は、昨日と同じトーストとコーヒー。
隣で新聞を読む妻の顔も、いつもの通りだった。
通勤電車の中。
向かいに座る乗客が、見覚えのあるビジネス書を読んでいた。
表紙の皺まで同じ。
昨日も見たような、いや、先週も見たような、そんな錯覚に陥る。
しかし、A氏は気にしなかった。
毎日同じ時間に乗るのだから、当然のことだろうと。
彼の勤めるナノマシン工場は、郊外のひんやりとした敷地に建っていた。
無機質な金属の壁。
内部は常に一定の低温に保たれ、精密機械の微かな駆動音が響く。
いつも通りのルーティン。
彼は生産ラインの最終チェックを担当している。
一つ目の部品を手に取った瞬間、それがわずかに揺らいだ。
半透明になり、次の瞬間、完全に実体を取り戻す。
隣の同僚、C氏が突然、今しがたチェックしたばかりの部品を再び手に取り、同じ動作を繰り返した。
まるで、巻き戻しのように。
A氏は瞬きをした。
C氏はもう一度、同じ動作をした。
三度目も、同じだった。
A氏は視線を上げた。
周囲の作業員たちが、それぞれ自分の持ち場で行う動作を、微妙に、しかし明らかに、反復している。
まるで一枚の絵画が、何度も重ねて描かれているようだった。
彼は動揺を抑え、工場の奥、普段は施錠されている研究セクションへと目を向けた。
扉が、わずかに開いている。
中に、B氏がいた。
彼は白い作業着に身を包み、中央の巨大な装置のコンソールを静かに操作している。
無数の細い光が装置の内部で点滅し、独特の低い唸り声が工場全体に響いていた。
B氏はA氏に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。
その表情に、感情はなかった。
「よく来られましたね、Aさん」
B氏は言った。
声は穏やかで、しかしどこか機械的だった。
「ここは、時間線調整施設です。」
彼はコンソールのディスプレイを指し示した。
そこには、無数の線が複雑に絡み合い、やがて一本の太い光の束へと収束していくグラフが表示されていた。
「無駄な選択肢を排除し、最も効率的で幸福な未来を選び取るための施設です。」
B氏は説明を続けた。
「我々のナノマシンは、ありとあらゆる可能性を計算し、不要な枝葉を刈り取り、最適な結果へと収束させる。」
A氏は理解した。
朝の目覚まし時計。
通勤電車。
そして同僚たちの反復する動作。
全てが、この収束のプロセスだったのだ。
B氏はディスプレイから目を離し、A氏の目を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは、常に最も適切な選択をしてきた。」
「それが、あなたが選ばれ、そしてここにいる理由です。」
A氏は喉の奥で息を飲んだ。
その瞬間、彼の人生の全ての選択が、まるで最初からそうなるべくして決められていたかのように思えた。
そして、その決定は、彼自身の意志とは何の関係もなかったのだ。
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