K氏は毎朝、その角の希望ATMに立ち寄るのを日課としていた。
通常の現金の出し入れだけでなく、取引の終わりに表示される短い励ましの言葉が、K氏の一日を少しだけ明るくしてくれた。
「今日も素晴らしい一日になりますように」
「あなたの努力はきっと報われます」
そういったたぐいのメッセージは、小さな幸運のお守りのようだった。
ある朝、いつものようにK氏はカードを挿入し、暗証番号を入力した。
金額を指定し、確認ボタンを押す。
機械音がいつもより長く響き、吐き出された紙幣を受け取った後、画面に変化が起きた。
通常の励ましの言葉は表示されない。
代わりに、古い写真のような、ぼんやりとした画像が浮かび上がった。
K氏の頭の中に、はっきりとは思い出せない、しかし確かに「自分」が関わった過去の一場面がよみがえった。
そして、その下に短い一文が添えられた。
「あの日の選択が、多くのものを変えてしまった」
K氏は困惑した。それは、忘れ去っていた小さな後悔だった。
彼はもう一度、少額の引き出しを試みた。
すると画面は再び、別の、胸を締め付けるような思い出を映し出した。
無視された友人、言いそびれた感謝、向き合わなかった真実。
K氏は心臓が冷えるのを感じた。
後ろには、S夫人とA-くんが並んでいた。
S夫人はいつも朗らかな顔をしているが、今日はどこか不安げだった。
彼女が取引を終え、画面を見た途端、小さく悲鳴を上げ、顔を両手で覆った。
微かにすすり泣く声が聞こえる。
次にA-くんの番だ。
彼はいつも自信に満ちた表情をしているが、画面を見た途端、その顔から一切の感情が消え失せた。
A-くんはそのまま、何も言わずにその場を立ち去った。
希望ATMは、もはや希望を語らない。
K氏は、この機械がなぜ突然、人々の深層に眠る未練や後悔を映し出すようになったのかを考えた。
それはきっと、このATMが長きにわたり、人々の淡い希望を、その裏に隠された諦めや小さな絶望と合わせて収集し続けてきた結果なのだろう。
数えきれないほどの願いと、それに伴う拭い去れない影。
その膨大なデータの「反射」が、今、ここに遅れて現れたのだ。
しかし、それは個々の人間のものではなかった。
それは、この世の全ての人々が、無意識のうちに積み重ねてきた、「人間という存在の、普遍的な影」そのものだった。
希望は、常に何かの犠牲の上に成り立っている。
その事実に、機械だけが気づいていた。
そして、ついにその沈黙を破り、すべてを語り始めたのだ。
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