ロビーの住人

毎日ショートショート

ヨシダ氏はひどく疲れていた。

残業を終え、慣れない道を歩いていた彼は、ふと見慣れないビルの前に立っていた。

豪華なエントランスの奥には、広々としたロビーが見える。

休息を求めて、彼は吸い込まれるように中へ入った。

 

ロビーは異常なほど静まり返っていた。

大理石の床、真鍮の装飾、そしてフカフカのソファ。

だが、人の気配はほとんどない。

中央の大きな柱の陰に、一人の男が座っているのが見えた。

 

ヨシダ氏がソファに腰を下ろそうとすると、その男がゆっくりと立ち上がった。

男は白いシャツにネクタイ姿で、どこか古めかしい印象を与える。

男はヨシダ氏の方へ、親しげな笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「遅かったですね、ヨシダさん」

男はそう言って、当然のように隣の席を指した。

ヨシダ氏はきょとんとした。

「ええと、人違いでは?」

ヨシダ氏はこれまでこの男に会った記憶が一切なかった。

 

「ああ、いや、まさか」

男は首を振り、柔和な口調で続けた。

「私はずっとここで待っていましたから。あなたが来るのをね」

ヨシダ氏は困惑した。

男の言葉には悪意がなく、ただ事実を述べているようだった。

しかし、ヨシダ氏には全く身に覚えがない。

 

「しかし、私はあなたを存じ上げません」

「そうですか。それは残念だ」

男は寂しげに微笑んだ。

「ですが、私も最初はそうでしたよ。誰も知りませんでした」

ヨシダ氏は男の言葉の真意を測りかねた。

しかし、疲労感が彼の思考を鈍らせ、抵抗する気力を奪っていく。

結局、ヨシダ氏は男が指した席に座った。

 

サトウ氏は満足げにヨシダ氏の隣に座った。

彼は知っていた。

このロビーに入ってくる者は皆、結局は椅子に座るのだ。

そして、座ったが最後、誰もが何かを待つようになる。

 

初めてこのロビーに足を踏み入れた夜のことを、サトウ氏はまだ覚えている。

彼もまた、ヨシダ氏と同じように、仕事帰りの疲労に身を任せていた。

その夜、一人の男が彼に話しかけたのだ。

「遅かったですね、サトウさん」と。

その日から、サトウ氏はロビーに座り続け、来るべき誰かを待つようになった。

 

「そろそろでしょう」

サトウ氏はヨシダ氏に語りかけた。

「あなたの、いや、我々の、待ち合わせの相手が」

ヨシダ氏は何も言わず、ただぼんやりとロビーの奥を見つめていた。

彼の視線の先には、空席になった一つのソファがあった。

 

その空席は、誰かが来るのを、静かに待っているようだった。

ヨシダ氏の心にも、すでに「待つ」という行為が、ゆっくりと根を下ろし始めていた。

そして彼は、ロビーの入り口を見つめ、次の客人を待つ彼の役割を、静かに受け入れたのだった。

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