海辺の小さな岬に、古びた灯台があった。
その灯台の番人、G氏はもう長いことこの仕事に従事している。
夕暮れ時、彼はいつものように作業を始めた。
磨き上げたレンズは夕陽を反射してきらめき、機関部のオイルは定期的に補充される。
彼の手は年老いていたが、その動きに無駄はなかった。
G氏の人生は、この灯台の光のように、正確で規則正しく流れてきた。
そして、定刻が来た。
G氏は操作盤の、最も大きなスイッチに手を伸ばす。
このスイッチは、灯台の光のパターンを切り替えるためのものだ。
カチリ。
スイッチが押し込まれた瞬間、G氏の全身を奇妙な浮遊感が襲った。
目の前が真っ白になり、次に視界が開けた時、彼は見慣れない場所に立っていた。
そこは豪華な絨毯が敷かれた広々とした書斎で、彼自身の体も若く、上質な服を身につけていた。
壁には見慣れない家族写真。
G氏は困惑したが、口からは自然と流暢な言葉が出て、周囲の秘書や使用人と応対していた。
まるで、彼がこの場所の主人であるかのように。
三日後、再びあの浮遊感に襲われたG氏は、いつもの灯台の操作室に戻っていた。
テーブルの上には、書きかけの日誌と、飲みかけの冷めた紅茶。
彼は夢を見ていたのか?
いや、違う。
彼は思い出した。あの数日間、彼は「別の誰か」として生きていたのだ。
G氏は震える手で、再びスイッチに触れた。
今度は意図的に、カチリ、と。
次に彼がいたのは、荒波に揺れる漁船の上だった。
粗末な衣服をまとい、顔には潮風による深い皺。
G氏の口からは、海の男らしい荒々しい言葉が飛び出す。
彼はまた、数日間をその「漁師の人生」として過ごした。
それからというもの、G氏は毎日、夕暮れ時にスイッチを押した。
ある時は成功した芸術家として、ある時は辺境の探検家として、またある時は貧しい物乞いとして。
様々な人生を経験するうち、G氏は次第に自分自身の「本来の人生」の記憶が薄れていくのを感じた。
彼の名前はG氏だったはずだが、その響きが遠い。
どの人生も、喜びに満ちた日もあれば、苦難の日もあった。
だが、G氏自身はそれらの人生の「持ち主」ではなく、ただの傍観者に過ぎなかった。
彼はただ、光のパターンを切り替えるように、人生を切り替えるだけ。
ある日の夕方、G氏はいつものようにスイッチを押した。
目を開けると、そこは古びた灯台の操作室だった。
見慣れた机、使い込まれた操作盤。
そして、その机に向かい、まさにスイッチに手を伸ばそうとしている、老いた男の背中があった。
その男は、かつてG氏が鏡で見た、自分自身の顔によく似ていた。
男はぼんやりとスイッチを見つめ、ゆっくりとその指を伸ばす。
G氏の脳裏に、一つの確信が走った。
灯台の光は、人生を切り替えるだけでなく、切り替えた人間自身をも、次の「チャンネル」として消費しているのだ。
カチリ。
男がスイッチを押すと、彼は光の中に溶けるように消え去った。
G氏が気づくと、自分は椅子に座り、スイッチの前にいた。
彼はもはやG氏ではない。ただの灯台守として、また夕暮れ時のスイッチに手を伸ばす。
彼が誰だったのかは、もはや誰も知らない。
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