Kは古びた図書館の、奥まった一角を愛していた。
埃っぽい陽光が、ベルベットの椅子に落ちる。
古い紙とインクの匂いは、Kにとって至福だった。
その一角には、常に閉ざされた扉があった。
「禁書庫」と書かれた木製のプレートが、わずかに傾いている。
ある日、Kは扉の隙間から、かすかな光が漏れているのを見つけた。
好奇心に駆られ、Kはそっとその扉を開いた。
細い螺旋階段を降りると、そこは別世界だった。
天井は高く、星屑のようなランプが瞬く。
壁には、見慣れない装丁の書物がずらりと並んでいた。
それらは、羊皮紙や象牙、磨かれた金属でできていた。
Kは一冊の書物に手を伸ばした。
表紙には、奇妙な紋様が刻まれている。
ページを開くと、文字は一つもない。
ただ、淡く、しかし確かな光がそこから溢れ出した。
Kが指先をその光に触れると、視界が一瞬にして歪んだ。
気づけばKは、知らない異国の宮殿にいた。
豪華なドレスを纏い、隣には見知らぬ王が微笑んでいる。
それは、他者の人生の記憶だった。
喜怒哀楽、成功と挫折。
Kは数時間、その人生を生き、そして図書館へと戻された。
手元の書物は静かに閉じられていた。
その日から、Kは禁書庫の虜となった。
毎日、違う人生を選び、その物語の中へ没入する。
貧しい画家の鮮烈な色彩感覚。
孤独な探検家の壮大な冒険。
K自身の平凡な日々は、色彩豊かな夢によって上書きされた。
Kの表情は日ごとに変わっていった。
鏡に映るKの瞳は、時に優しく、時に鋭く、時に憂いを帯びた。
図書館の古株である管理人Hは、時折Kに視線を送るが、何も語らない。
まるで、起こるべくして起こる事態を見守るかのように。
ある日の午後。
Kは、いつもより深い人生の夢から覚めた。
足元に、一冊の書物が落ちていた。
他の書物とは異なり、それは使い古され、ページは黄ばんでいた。
表紙の紋様も、薄れて読めない。
Kは何気なく、その書物を開いた。
指先が光に触れる。
視界が再び歪む。
だが、そこに広がったのは、見知らぬ世界ではなかった。
Kは、古びた図書館の、奥まった一角にいた。
埃っぽい陽光が、ベルベットの椅子に落ちる。
Kは、書架の間を静かに歩いていた。
そして、開かれた書物のタイトルが、はっきりと見えた。「K」と。
その書物は、すでに最後のページまで読み進められ、そっと閉じられようとしていた。
Kの視界は、ゆっくりと暗闇に吸い込まれていった。
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