A氏は夜間営業の市民プールにいた。
いつも通りのルーティン。
一日の終わりに決まった数を泳ぐ。
ラップカウンターがぴたりと「50」を示した。
達成感とともに、A氏はプールサイドに上がった。
隣のレーンでは、B氏がまだ泳いでいる。
B氏もまた、日課としてこのプールを利用していた。
A氏はタオルで体を拭きながら、ぼんやりと水面を見た。
天井の窓からは、数えきれないほどの星が輝いている。
星の数が、妙に多く感じられた。
やがてB氏も上がってきた。
「お疲れ様です。今日は何ラップでした?」
A氏が尋ねた。
B氏は息を整えながら答える。
「ええ、今日は48でした。あなたも頑張りましたね、50でしたか」
A氏は首を傾げた。
「いや、48でしたよ。今日の私は」
B氏は目を丸くした。
「まさか。私のカウンターは確かに50でしたよ」
二人は互いのカウンターを指差した。
A氏のカウンターは「48」を、B氏のカウンターは「50」を確かに示している。
奇妙な食い違いだった。
監視員Cが通りかかった。
「何かありましたか、お客様」
A氏が状況を説明した。
「ラップ数が合わないんです。私のカウンターは48、彼のカウンターは50です」
Cは無表情に二つのカウンターを一瞥した。
「ああ、それはよくあることですよ」
「よくあること?」
B氏が怪訝な顔で聞き返した。
「ええ、このプールでは時々、数字がふらつくんです」
Cはそう言うと、壁にかけられた時計を指差した。
時計の表示は午後9時17分。
次の瞬間、表示は午後9時23分に変わった。
そしてすぐに9時17分に戻った。
「水温計も見てください」
とCは言った。
水温計は29度を示していたが、すぐに31度になり、また29度に戻る。
まるで数字自体が揺らいでいるかのようだ。
A氏とB氏は顔を見合わせた。
Cは続けた。
「特に星がよく見える夜は、数字が活発になるようです」
水面を見上げると、星の数は確かに増減を繰り返している。
無数の点が瞬き、増え、減り、また増える。
二人は少し不安になった。
「まさか、私たちの持っている他の数字も?」
A氏が呟いた。
B氏は慌ててスマートフォンのアプリを開いた。
銀行口座の残高が、瞬時に数百円増えたり減ったりしている。
年齢表示も、一瞬だけ「45」になったり「47」になったりする。
二人は全身が凍りつくのを感じた。
Cはそんな二人の様子を冷静に見つめている。
「心配いりませんよ」
と彼は言った。
「誰も気にしていませんから」
「気にしない?」
A氏がさらに困惑した。
「ええ。どうせ翌日には、誰もその変動を覚えていません」
Cは穏やかに微笑んだ。
「大切なのは、自分が信じる数字を追い続けることだけです」
A氏とB氏は、茫然としたまま、再び水面を見上げた。
増減を繰り返す星の光が、二人の目に映る。
翌朝、A氏が目覚めると、昨夜の出来事はすっかり忘却の彼方だった。
彼は今日も一日、正確な数字を追い求めるだろう。
世界がどれほど不確かであろうとも、人々は数字を信じ続けるしかないのである。
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