逢魔が時の研究室

毎日ショートショート

西の空が深く茜色に染まる頃、ヤマダ博士は研究室の窓辺でコーヒーを啜っていた。

助手Bは隣で、今日の実験データを淡々とまとめている。

 

「逢魔が時か。いつもより空気が重いな」

博士がつぶやいた。

助手Bはモニターから目を離さず、「測定値に異常はありません」と答えた。

 

彼らが研究しているのは、多次元空間の安定化に関する理論だった。

特に、高次元空間への扉を開閉する「次元安定化装置」は、その核心をなすものだ。

本日はその調整実験の最終段階だった。

 

ふと、博士はテーブルの上のペンが、一瞬だけ二本に見えた気がした。

「ん?」

目を凝らしたが、ペンは一本のままだ。

「疲れていますか、博士」

助手Bの声は冷静だった。

 

その時、背後の装置が、微かな、しかし耳障りな電子音を発した。

モニターには「DIMENSION SHIFT DETECTED」の文字が点滅している。

「また誤作動ですか?」

助手Bが眉をひそめた。

「いや、これは…」

博士はモニターの数値を見て、表情を変えた。

次元数が、微量だが確実に増加傾向を示していた。

 

外の景色が、まるで水面に油を垂らしたように、ゆらゆらと歪み始めた。

建物の輪郭が曖昧になり、遠くの山が二重に見える。

研究室の壁が、一瞬だけ透けて、その向こうに見たこともない空間が広がった。

そして、すぐに元の壁に戻る。

 

「まずい。装置が暴走している!」

博士は慌てて制御パネルに手を伸ばした。

しかし、パネルのボタンが、触れるたびに別の位置に移動したり、形を変えたりする。

助手Bは呆然と立ち尽くしていた。

彼女が手にしていたファイルが、突然、半透明になり、そのまま消滅した。

 

「博士、このままでは…」

助手Bの声も、途切れ途切れに聞こえる。

彼女の姿も、徐々に薄くなり始めていた。

博士は必死に装置の解除コードを入力するが、キーボードの配列が認識できないほどに変化していた。

空間のあらゆるものが、無数の可能性に分裂し、融合し、また分裂する。

 

「B、君はそこにいるのか?」

博士の視界は、もはや単一の現実を捉えられなくなっていた。

助手Bの返事は、複数の方向から、異なる声色で同時に聞こえるようだった。

自分の腕を見ても、それが確かな実体を持つものなのか判別できなかった。

やがて、光と影の境界が失われ、全てが混沌としたグラデーションへと溶けていった。

 

そして、全てが静寂に包まれた時。

ヤマダ博士は確かにそこにいた。しかし、同時に別の場所にも、さらに別の場所にも存在しているようだった。

助手Bもまた、同じ状態だった。

彼らは、それぞれの次元で互いの存在を微かに感知し合った。

かつて物理的に触れ合えた距離に、無限の隔たりが生まれていた。

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