午後五時を過ぎたばかりだった。
空は淡い群青色に染まり始め、町は夕暮れの気配に包まれていた。
タナカ氏は、いつもの散歩コースを友人のヤマダ氏と歩いていた。
二人の目的は、町外れにある古い時計塔だった。
歴史的建造物として残されてはいたが、その巨大な時計はもう何十年も動いていないはずだった。
少なくとも、町の誰もがそう信じていた。
塔の下に差し掛かった時、ヤマダ氏が腕を掴んだ。
「おい、タナカ。あれを見ろ」
ヤマダ氏が指差す先、塔の頂上にある大時計の針が、ゆっくりと動いていた。
秒針がないにもかかわらず、その動きは確かなものだった。
そして、カチ、カチ、と微かな音が二人にも届いた。
「まさか、動いているのか? 故障したのか、それとも修理されたのか」
タナカ氏が呟いた。
「いや、それだけじゃない」
ヤマダ氏の声には緊張が混じっていた。
時計塔の基部にある、普段は固く閉ざされた鉄製の扉が、わずかに開いていた。
その隙間から、これまで見たことのない、薄紫色の光が漏れている。
まるで、夜明け前の空のような、奇妙な色だった。
タナカ氏は好奇心に抗えず、一歩、また一歩と扉に近づいた。
軋む音を立てて、彼は扉をさらに開いた。
内部は予想以上に広かった。
そして、そこには薄紫色の光が満ちていた。
「なんだ、これ……」
ヤマダ氏も恐る恐る後についてきた。
塔の内部は、単なる機械室ではなかった。
光の向こうには、無限に広がるかのような空間が見えた。
そこには、こちらの世界には存在しない植物が揺れ、奇妙な形の建造物が建ち並んでいた。
それは、まるで別の惑星、あるいは別の次元の景色だった。
二人は息を呑んで立ち尽くした。
空間の奥から、細く長い影がゆらりと現れた。
それは、こちらの世界の人間に似ていたが、もっと手足が長く、非現実的な姿をしていた。
影は、ゆっくりと、こちらに向かって手を差し伸べた。
ヤマダ氏が恐怖に声もなく後ずさった。
しかし、タナカ氏はその不思議な光景に魅了され、もう一歩踏み出そうとした。
その時だった。
頭上で、ゴウン、と大きな機械音が響いた。
大時計の針が狂ったように猛スピードで回転し始めたのだ。
光が激しく明滅し、塔の内部全体が振動した。
慌てて二人は扉から飛び出した。
バン、と大きな音を立てて、鉄製の扉が自ら閉まった。
振動が止み、時計の針は再び動かなくなった。
薄紫色の光も消え去り、そこにはいつもの、静かで古びた時計塔が佇んでいるだけだった。
二人は顔を見合わせた。
「今の、一体……」
ヤマダ氏が震える声で言った。
「夢か幻だったのか?」
タナカ氏も信じられないといった様子だ。
その時、タナカ氏が腕に巻いた腕時計に目をやった。
彼の腕時計は、普段通り正確な時刻を刻んでいた。
しかし、なぜか、数字の並びがいつもと違って見えた。
よく見ると、一つだけ、見慣れない記号が文字盤に追加されていた。
その記号は、ちょうど「13」の位置にあった。
二人は時計塔を後にした。
振り返ると、時計塔の大時計の文字盤にも、見慣れない記号が一つ増えているように見えた。
それは、彼らが去った後も、薄暮の中に静かに佇んでいた。
時計塔は、彼らを元の世界には戻していなかったのだ。
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