タナカ主任技師は、軌道工場「オリオン17」の管制室で、いつものように終業処理をしていた。
隣では、若手のスズキが地球へのシャトル便の時刻を気にしている。
夕方の帰宅ラッシュだった。
多くの作業員が、一日の疲れを癒やすべく地球へ戻る準備を始めていた。
工場全体が、わずかに揺れるような奇妙な感覚に包まれていたが、誰もがそれは疲労のせいだと考えていた。
その時、管制室のメインスクリーンに赤い警告が表示された。
「警告。空間整合性、異常値検出。レベル1。」
システムAの合成音声が淡々と告げた。
タナカは眉をひそめた。「システムA、詳細を。」
「周辺宇宙空間におけるエネルギー準位の局所的な変動。観測史上初めてのパターン。」
スズキは首を傾げた。「主任、新しいバグですかね? いつものことじゃないですか。」
警告レベルは瞬く間に2、そして3へと上昇した。
工場内のあちこちで、設備が軋むような、あるいは空気が抜けるような、異音が響き始めた。
「緊急放送。全職員に告げる。直ちに最寄りの緊急シェルターへ避難せよ。」
システムAの声が、工場全体に響き渡る。その声は一切の感情を含まない。
しかし、人々はシャトル乗り場へと殺到していた。避難指示よりも、早く地球に帰りたいという本能が勝っていた。
タナカはモニターを凝視した。データは恐ろしい事実を示していた。
「これは……真空崩壊か?」
彼は呟いた。
スズキは顔色を変えた。「冗談ですよね? 理論上の現象でしょう?」
「理論は現実になるものだ、スズキ。」
タナカは冷静に言った。
宇宙空間が、まるで布が裂けるように歪み始めた。
管制室の窓の外、輝く星々が変形していくのが見えた。
「真空崩壊の発生源を特定しました。」
システムAが報告する。「発生源は、本工場の中央動力炉セクション、D-12区画。」
タナカは目を見開いた。そこは、先日、予算削減のために老朽化した部品の交換が見送られたばかりの場所だった。
「どうやら、宇宙の根源的秩序は、工場の経費節減策には勝てなかったようですね。」
タナカは小さく笑った。その笑いは、諦めと、奇妙な達観が入り混じっていた。
工場全体が、まるで幻のように空間から消え去っていく。
地球へのシャトル便は、その光景を遠くから眺めるしかなかった。
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