K氏は古い屋敷の寝室にいた。
慣れない硬いベッドに、体はしっくりこない。
骨董商の彼は、この屋敷の品々を査定するため、M夫人の招きで一晩を過ごすことになっていた。
築百年は超えるという建物は、随所に時代を感じさせる重厚さがあった。
深夜零時を過ぎても、K氏の目は冴えていた。
静寂が支配するはずの屋敷は、彼が意識を集中するたびに、微かな音を発する。
遠くで何かが軋む音。
風もないのに窓が揺れる。
そして、階下から聞こえる、誰かのすすり泣くような声。
K氏はベッドから起き上がり、耳を澄ませた。
声は、屋敷の広間から、階段を上ってくるように聞こえる。
足音。
微かに、だが確かに。
それはK氏の部屋の前で止まった。
ドアの隙間から、ぼんやりと光が漏れる。
そして、何か影のようなものが、ゆっくりと通り過ぎた。
細身の、女性らしき姿。
メイド服のように見えた。
K氏は息を殺した。
M夫人が語っていた、屋敷の古い話が頭をよぎる。
数十年前、この屋敷で働く若いメイドが、不慮の事故で亡くなったという。
そのメイドの名はE。
ある嵐の夜、階段から落ちて命を落としたと。
再び、足音が響く。
今度は、下降していく。
その足音は、まるで焦っているかのようだった。
K氏は耐えきれず、部屋を出た。
屋敷の広大な階段が、闇の中にそびえ立つ。
下の方から、甲高い悲鳴が聞こえた。
その瞬間、K氏の意識は遠のき、視界が白んでいく。
そして、鮮明な映像が脳裏に焼き付いた。
嵐の夜。
階段を駆け下りるメイドE。
彼女は何かを隠そうと、必死に手を伸ばしていた。
その手から、小さな鍵が滑り落ちる。
Eは鍵を追って身を乗り出し、バランスを崩した。
鈍い音と共に、その体が階段を転がり落ちていく。
K氏は息をのんだ。
これは、Eの追体験だ。
屋敷に残された過去の悲劇を、自分が今、見ているのだ。
彼はその夜、ほとんど眠らなかった。
夜明けと共に、幻覚は消え失せたが、脳裏には悲劇の光景が焼き付いていた。
翌朝、広間でM夫人がK氏を迎えた。
彼女の顔には、昨夜の不安など微塵も感じられない。
むしろ、満足げな微笑みが浮かんでいた。
「よく眠れましたか、Kさん。」
M夫人は上品なカップを傾けながら言った。
K氏は昨夜の出来事を語ろうとしたが、言葉に詰まった。
M夫人は彼の顔をじっと見つめた。
「心配なさらないで。これであなたも、屋敷の次の持ち主として、歓迎されたということですわ。」
そして、彼女は優雅に付け加えた。
「あのメイドEが、鍵を落とした場所は、もうご存知でしょう?」
K氏は凍り付いた。
M夫人はK氏が、過去の悲劇の「観測者」ではなく、新たな「実行者」となることを望んでいたのだ。
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