観客Aの消失

毎日ショートショート

ミスター・Kは、深夜の映画館が、誰にも邪魔されない至福の場所だと信じていた。

決まって上映される最後の回。

観客はまばらで、ほとんどが老齢の紳士淑女だった。

 

ある晩、いつも通りミスター・Kは劇場を訪れた。

時計は午前2時を指していた。

 

チケットカウンターには、無愛想なアテンダントが座っていた。

「いつもの席を」

ミスター・Kは声をかけた。

 

アテンダントは、何も聞こえないかのように、ただ一点を見つめていた。

まるでそこに誰もいないかのように。

ミスター・Kは、もう一度試みた。

しかし、アテンダントは微動だにしない。

 

ミスター・Kは戸惑いながらも、そのまま中へと進んだ。

ロビーには、何人かの客が立っていた。

彼らは静かに、壁に飾られたポスターを眺めている。

ミスター・Kは、その中の一人に軽く肩をぶつけてみた。

 

しかし、相手は全く反応せず、まるで煙のようにすり抜けた。

「一体、どうなっているのだ?」

声にならない驚きが、喉元でつかえた。

 

ミスター・Kは、そのまま上映室へと入った。

スクリーンには、白黒の旧作が流れていた。

いつもの席に目をやると、見慣れた顔がいくつかあった。

常連の老婦人、新聞を広げる初老の男。

 

ミスター・Kは、ゆっくりと自分の定位置へ向かった。

そして、隣の席に座っていたはずの紳士に声をかけようとした。

その瞬間、ミスター・Kの視界が歪んだ。

 

紳士の姿が、揺らめく光の粒子の集合体に見えた。

彼は手を伸ばした。

その手は、何の手応えもなく、紳士の体をすり抜けた。

 

ミスター・Kは、叫び声をあげた。

だが、何の音も出なかった。

彼は、劇場中のすべての「客」に手を伸ばした。

彼らの体は、皆、同じように光の粒子でできていた。

 

スクリーンの中の登場人物が、彼らに向かって語りかける。

しかし、「客」たちは微動だにしない。

永遠にその場所に留まるかのように。

 

ミスター・Kは、ふと、気づいた。

「ああ、そうか」

ここは、彼が繰り返し見たかった、過去の劇場そのものだったのだ。

そして、そこにいた誰もが、すでに過ぎ去った時間の一部だった。

自分自身も、ただの観客ではなかった。

 

彼は、ただの忘れ去られた舞台装置に過ぎなかった。

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