夜の砂漠は静かだった。
主任技師のK-氏は、古いマグカップを片手にモニターを眺めていた。
若手のH-氏は、点検リストを手に転送室の巡回を終えたばかりだ。
この転送施設は、外界から隔絶された砂漠の真ん中にあった。
最新鋭の瞬間移動装置が、近々本格稼働する予定だった。
日々の業務は単調で、砂嵐の音だけが変化をもたらす。
「異常なし、K-氏。」
H-氏の声は、どこか諦めたような響きがあった。
K-氏は頷き、視線を画面に戻した。
数時間後、H-氏が休憩室で仮眠を取っていると、微かな音が聞こえた。
壁の向こうから、何かが引っ掻くような、こするような音だ。
彼は顔を上げたが、すぐにまた目を閉じた。
ただの風の音だろう。
この施設ではよくあることだ。
しかし、音は消えない。
むしろ、はっきりと大きくなっていた。
「K-氏、何か聞こえませんか?」
H-氏はK-氏のコンソールまで歩み寄った。
K-氏は眉をひそめ、耳を澄ます。
「気のせいだろう。砂嵐が遠くで鳴いているだけだ。」
しかし、その音は明らかに建物の内部から聞こえていた。
二人は音のする方向を探った。
転送装置の中枢室、その厚い壁だ。
壁に耳を当てると、内部で何かが蠢くような音がする。
「まさか、転送装置が勝手に作動でも?」
H-氏が転送ログを確認するが、異常は記録されていない。
しかし、K-氏は壁に僅かな変形を見つけた。
まるで内側から圧力がかかったかのような、微細な歪みだ。
K-氏がその歪みに指を触れると、彼の指先は、まるで霧の中を通るように、壁の向こうに消えた。
「なんだと…?」
驚愕する二人の前で、K-氏の指は完全に壁を透過していた。
壁は、固体ではなくなっていた。
瞬時に、H-氏は理解した。
転送装置の機能が、壁全体に拡大しているのだ。
あるいは、最初からこの壁自体が転送装置だったのかもしれない。
彼らは試しにペンを壁に差し込んだ。
ペンは反対側へと消え、数秒後、彼らの背後の棚の上に現れた。
さらに小さな工具箱を壁に押し込むと、それは瞬時に消え、別の部屋の床に落ちた。
K-氏は青ざめた顔で言った。
「まさか、これは…」
H-氏の目に、恐怖が宿る。
彼らは壁を通り抜けて、隣の部屋へ簡単に移動できるようになった。
施設内のすべての壁が、転送ゲートと化していた。
翌朝、施設内には誰もいなかった。
あるはずのない足跡が、砂漠のあちこちに残されていた。
彼らは、自分たちが「外」だと思っていた砂漠の景色の中に、幾つもの「壁」を見つけた。
施設は、砂漠のどこにも存在しなかった。
彼らは、一晩中、自分たちが「外」だと信じていた砂漠の風景を、自分たちが「施設」の壁を通り抜けて、延々と歩き回っていたのだった。
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