A氏は、人生の大きな岐路に立っていた。
長年心血を注いできた研究が、最後のピースを見つけられずに停滞していたのだ。
彼は焦燥感に駆られ、夜毎、書斎のランプの下でうなだれていた。
そんなある夕暮れ時、彼は町外れの細い路地を歩いていた。
その先に、古びた看板を掲げた店を見つけた。
『境目の古道具屋』。
噂には聞いていた。何でも知っている老人がいるという。
店の扉を開くと、カラン、と古びた鈴が鳴った。
店内は、奇妙な品々で埋め尽くされていた。
埃をかぶった地球儀、用途不明の金属片、色あせた地図。
店の奥から、白髪の老人が現れた。店主のBだった。
彼の目は、全てを見透かすかのように澄んでいた。
「何か、お探しですか?」Bは静かに尋ねた。
A氏は自分の研究の窮状を語った。
あと一歩で完成するはずの理論が、どうしても解けないこと。
望む未来が、霞んで見えないこと。
Bは何も言わず、ただうなずいていた。
やがて彼は、店の棚の奥から小さな木箱を取り出した。
中には、ただの灰色がかった石ころが一つ。
「これです」Bは言った。
「あなたが、すでに手に入れたものです。」
A氏は戸惑った。石ころが、どう研究に関わるのか。
しかしBは、説明を求めるA氏の手に、そっとその石を乗せた。
その瞬間、A氏の脳裏に、探していた数式が閃光のように浮かび上がった。
複雑なパズルが、完璧な形で組み合わさる。
そして、彼の研究が完成し、彼が称賛されている未来の光景までが、鮮明に像を結んだ。
A氏は歓喜に震えた。
これこそが、彼が求めていたものだ。
彼は代金を尋ねた。
Bは静かに答えた。「代金は、あなたが『それ』手に入れたという『事実』です。その事実が、この石に込められたのですから。」
A氏には意味が分からなかったが、興奮冷めやらぬまま店を出た。
彼は家に帰り、閃きに従い研究を再開した。驚くほどスムーズに進み、数日後には完璧な論文が完成した。
論文は学会で絶賛され、彼は若くして名を上げた。
数十年後。
老境に入ったA氏は、とある小さな美術館の展示会に招かれていた。
特別展示の目玉は、世界各地から集められた奇妙な品々だった。
その中に、見覚えのある木箱と、灰色がかった石を見つけた。
あの古道具屋で手に入れた石と、瓜二つだった。
添えられた解説を、A氏は震える手で読んだ。
『古来より伝わる「因果の石」。これに触れる者は、すでに起こった未来の記憶を受け取り、その記憶を実現するべく行動する。だが、その結果が石に刻まれることで、その者の未来は確定し、別の可能性は消えるという。』
A氏は目を見開いた。
あの時、彼は「閃き」を得たのではない。
「結果」を植え付けられただけだったのだ。
彼の偉業は、彼自身の意志によるものではなかった。
石が示した「未来の記憶」を実現したに過ぎない。
その頃、境目の古道具屋。
Bは、一人の若い研究者の訪問を待っていた。
店には、きらきらと輝く、完成したばかりの論文の草稿が飾られていた。
彼の研究は、あと一歩で完成するはずだった。
A氏が手に入れた『因果の石』が、新たな未来を確定させるために。
そして、Bは静かにその草稿を手に取り、店先でC氏を迎えた。
「これは、あなたが、すでに手に入れたものです。」
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