A氏は、いつものように目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
まだ薄暗い空に、灰色のビル群がそびえている。
朝食を済ませ、ネクタイを締めると、彼は自動的に家を出た。
地下鉄の駅は、すでに通勤客でごった返していた。
人人人の波に乗り、彼は慣れた足取りでホームへ向かう。
電光掲示板には、いつもと変わらぬ出発時刻が表示されているはずだった。
しかし、そこに示されていたのは「終点」の文字。
そして、その下に小さく「発車」と記されている。
A氏は目を凝らした。
見間違いか。
彼の隣に立っていた若い女性は、スマートフォンを眺めるばかりで、表示に何の疑問も抱いていないようだ。
他の人々も、皆うつむくか、ぼんやりと虚空を見つめている。
やがて、アナウンスが響き渡った。
「まもなく、終点『第7区画商業都市』行き、始点『中央管理区』発の列車が到着します。」
「通常通り、終点から目的地への旅が始まります。お乗り遅れのないようご注意ください。」
A氏は困惑した。終点から発車するとはどういうことなのか。
しかし、人々の流れに押しやられ、彼は到着したばかりの車両へと足を踏み入れた。
車両はすでに満員だ。
人々は皆、終点への旅が始まることを当然のように受け入れている。
ドアが閉まり、列車はゆっくりと動き出した。
窓の外の景色は、まるで巻き戻しのように、あっという間に消えていく。
ビル群が後退し、朝日に照らされた住宅街が逆方向に流れていく。
一駅進むごとに、A氏は混乱を深めた。
自分の目的地へは、この逆行列車に乗ってどうやってたどり着くのだろう。
彼は隣の乗客に尋ねた。
「すみません、この電車は…」
「ああ、初めての方ですか。」
隣の男は顔を上げず、淡々と答えた。
「心配はいりません。終点へ行くには、一度、終点から出発する必要があるのです。」
「そうしなければ、目的地に『到着した』という実感が薄れるでしょう?」
彼の言葉は、まるで世界の理を語るかのように聞こえた。
A氏は窓の外を眺めた。
列車は、彼が今朝出てきた自宅の前を、高速で逆走していくところだった。
#ショートショート#毎日投稿#AI#星新一風#日常系#朝
コメント