沖合に立つ古い灯台は、今日も静かにたたずんでいた。
灯台守のK氏は、定年まであと一年を切っていた。
彼の日常は、規則正しかった。
朝、レンズを磨き、機械を点検する。
昼は、沖を行き交う船影をぼんやりと眺める。
夕方には、日の入りを確認し、決められた時間に灯台の光を点灯させる。
その光は、遠い昔から変わらず、水平線を照らし続けてきた。
K氏にとって、それはもはや人生そのものだった。
彼はこの場所で生まれ、この場所で育ち、そしてここで老いていく。
灯台の外の世界へ出ることは、ほとんどなかった。
ある夕暮れ時だった。
いつものようにK氏が点灯ボタンを押した。
光は放たれた。
しかし、その点滅は、いつもと違っていた。
規則正しいはずのリズムが、わずかに乱れている。
K氏は首を傾げた。
「故障か?」
彼は点検したが、どこにも異常は見当たらなかった。
その夜から、K氏の夢が変わった。
見知らぬ街を歩き、見知らぬ人々と話し、見知らぬ仕事をこなす夢だった。
奇妙なことに、夢の中の自分は、自分ではない別の誰かのように感じられた。
数日後、光の乱れはさらに顕著になった。
K氏もまた、以前とは違う行動を取り始めた。
日誌に、理解できない文章を書き連ねたり、誰もいない海に向かって何かを語りかけたりした。
そして、ある夕暮れ。
K氏は、灯台の扉を開けた。
彼は一度も足を踏み入れたことのなかった、灯台の外の世界へ向かって歩き出した。
振り返ることはなかった。
街の住民たちは、突然現れたK氏に戸惑った。
K氏は、以前とは別人のようだった。
無口で無表情だったK氏が、饒舌に人生を語り、街の酒場で陽気に歌うようになった。
彼は、自分が海辺の小さな喫茶店を営む「ヤマダ」であると名乗り、かつての灯台守の記憶は一切ないようだった。
「Kさんが、あんな風になるなんてなあ」
漁師のM氏は、首を振った。
「きっと、定年を前に気が緩んだのだろう」
役場のS氏は、そう言って笑った。
一方、沖合の灯台は、毎日定時に光を放ち続けた。
規則正しく、しかしどこか虚ろな光だった。
その光は、まるでK氏の魂が、灯台に閉じ込められたまま、永遠に海を照らし続けるかのように見えた。
K氏は街で「ヤマダ」として新しい人生を謳歌していたが、それは彼自身の人生ではなかった。
灯台の光は、彼が解放した「誰か」が灯台に宿り、K氏の人生を奪って街へ降りた「代償」の光なのだと、誰も知らなかった。
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