Kは日々の繰り返しに倦んでいた。
朝、目覚め、電車に揺られ、定型業務をこなし、夜、テレビを見ながら眠りにつく。
それは精巧なゼンマイ仕掛けの人形が、誰かに操られているかのようだった。
自分の意思など、そこには存在しない。
ある晩、彼はいつもの帰り道から逸れた。
工事中の迂回路を歩いていると、古びた看板が目に留まった。
「星空の占い師」
ぼんやりと光るネオンは、遠い宇宙からの誘いのように思えた。
彼の心が、微かにざわめくのを感じた。
Kは好奇心に引かれ、錆びたドアを開けた。
店の奥には、満天の星が描かれた天蓋の下、老女が座っていた。
マダム・ステラと名乗る彼女の目は、夜空の深淵そのものだった。
その瞳は、Kの心の奥底を見透かすようだった。
「何を望みますか、お客様?」
声は静かで、しかし無限の響きを含んでいた。
Kはしばし言葉を失った。
彼は漠然と、何か新しいものを求めていた。
人生の意味、世界の真理、この倦怠からの解放。
あるいは、自分が何者であるかを知りたい、と。
「全てを知りたい。宇宙の、この世界の、あらゆる真理を。私が何であるかをも。」
Kは絞り出すように言った。
マダム・ステラは静かに頷いた。
「それは、重い願いです。しかし、叶えましょう。」
彼女は古びた水晶玉に手をかざし、目を閉じた。
店内の星々が、一瞬、強く輝いたように見えた。
次の瞬間、Kの頭の中に、膨大な情報が流れ込んできた。
それは知識の奔流だった。
彼の脳の隅々まで、有無を言わさず満たされていく。
素粒子から銀河の果てまで。
過去のあらゆる出来事から、未来の最終的な熱的死まで。
全ての因果律、全ての法則、全ての存在の循環。
完璧な秩序と、完璧な無秩序。
世界の全ての音が、彼の耳に同時に響き渡った。
Kはよろめいた。
彼の視界は、もはや日常の風景ではなかった。
道行く人々は、複雑な計算式で動く生体ロボットに見えた。彼らの喜びも悲しみも、全ては予測可能なパターンだった。
建物の構造は、崩壊へと向かう必然的な過程の一部として認識された。
世界は透明になり、その本質が剥き出しになった。
彼の心は、かつてないほど澄み渡っていた。
しかし、同時に、かつてないほど空っぽになった。
そこに、喜びも、悲しみも、希望も、絶望も、何も存在しなかった。
Kは店を出た。
夜空はいつもと変わらず、星々が瞬いていた。
しかし、彼の目には、その星々もただの燃え尽きる運命にあるガスの塊としてしか映らなかった。
全ての行動、全ての感情が、無意味なものとして映った。
彼が願った「真理」とは、全てが「無」へと収束していく未来だったのだ。
Kは、全てを理解した。
そして、その瞬間から、何も感じなくなった。
#ショートショート#毎日投稿#AI#ファンタジー系#夜
コメント