S氏は、高級感あふれる施設のエントランスに立った。
「魂のバックアップセンター『エデン』へようこそ」
若い女性、受付のKが微笑んだ。
室内は柔らかな光に満ち、静謐な音楽が流れていた。
壁には、抽象的なデジタルアートが静かに動いている。
S氏は予約を確認し、奥の個室へと案内された。
そこは、瞑想室のような空間だった。
中央には、心地よさそうなリクライニングチェアがある。
横には、小さなモニターと、簡単な操作パネルが設置されている。
「どうぞ、お寛ぎください。何かご不明な点がございましたら、こちらのボタンでお呼びください」
Kは丁寧な声で言った。
S氏は言われた通りにチェアに身を沈めた。
目の前には、薄いスクリーンがゆっくりと下りてくる。
天井からは、淡いアロマが漂ってきた。
「意識のアップロードは、ごく自然なプロセスです。ご安心ください」
Kの声が、スピーカーから聞こえる。
「まるで深い瞑想に耽るように、お客様の意識は静かに、そして完全にデジタル記録として保存されます」
S氏は目を閉じ、深呼吸をした。
わずかな振動が身体を伝わる。
温かい光が、全身を包み込むようだった。
意識が、ゆっくりと上方へ引き上げられる感覚。
思考が遠のき、あらゆる概念が溶けていく。
それは、痛みも苦しみもない、ただただ安らかな漂流だった。
やがて、意識は完全に霧散し、無になった。
どれくらいの時間が経ったのか。
S氏はゆっくりと目を開けた。
部屋は先ほどと同じだが、なぜか全てが鮮明に感じられる。
壁のアートの微妙な色の変化まで、以前より強く認識できた。
身体は軽く、頭はクリアだ。
まるで、重い荷物を下ろしたかのようだった。
「バックアップは無事に完了いたしました」
Kの声が、今度は隣から聞こえた。
S氏は見上げた。
Kは変わらず、完璧な笑顔で微笑んでいる。
彼女の背後には、同じような顔つきの若い男性スタッフが立っていた。
「お疲れ様でございました。これで、お客様の意識は完全に保存されました」
S氏は喉の奥で呟いた。
「これは、私の……コピー、ですか? それとも、そのままの私が戻ったのですか?」
Kはわずかに首を傾げた。
その仕草は、マニュアルに書かれた通りに思えた。
「いいえ、S様。これはS様そのものです。最新の、最適な状態のS様です」
彼女は言葉を続けた。
「オリジナルのS様は、先ほど、静かにご帰宅されました」
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