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SF・近未来

当たらない明日の書棚

第 17 話 / 全 133 話 2026.09.27 23:10 配信 約4分で読める

未来への賭けが経済のすべてになった社会では、誰にも賭けられなかった可能性は、捨てられなかった。それらは一冊の本として、地下書庫へと送られてくる。整理係の彼は、敗者たちの背表紙に目録番号を刷る仕事をしていた。

表向きは図書館の地下だ。湿ったコンクリート、蛍光灯の低いうなり、空調が休む深夜二時。だがこの書庫に並ぶのは、世に出なかった企画書、採用されなかった人々の履歴、走らなかったレースの出走表、誰の目にも留まらず配給中止になった映画の脚本だ。表紙には一律に白いラベルが貼られ、そこに書かれるのは題名ではなく、かけられたオッズだ。「一・二倍」もあれば「四千三百倍」もある。どちらにせよ当たらなかった、という意味だ。

この社会では、あらゆる可能性に割引率がつけられる。人は他人の人生にも賭ける。名前すら馬の競走名のように記号化され、実際の出自や出自をめぐる事情は公平のために括弧書きにされる。括弧の中身を気にする者は、もうほとんどいない。採算の取れる人生だけが表の世界に残り、取れなかった分岐はこの地下へ廃棄物として降りてくる。

彼はこれを不公正だとは思わなかった。ただ、無駄だと思っていた。

一・二倍に賭けられた人生と四千三百倍の人生とを、同じ棚に並べながら、彼はふと疑問に思う。当たると誰もが確信していたものが外れ、誰も信じなかったものが一夜で宙を舞う。それならこの書庫に積まれた山は、本当に「敗者」なのか。それとも、表の世界に出ることすら許されなかった、巨大な未使用の明日なのか。

整理係に与えられる権限は小さい。本を受け取り、除菌し、オッズを確認し、番号を刷り、棚に納める。処分は許されない。廃棄物だからこそ永遠に保存される。制度の皮肉を、彼は棚を拭きながら味わっていた。

野心はあった。いつかこの書庫の扉を開けて、地表の人々に見せたいのだ。お前たちが賭けた未来は、ここにあったこれらの分岐の上に成り立っている。お前たちの勝ちは、ここに沈んだ敗者たちの数で割り引かれている。だが扉の鍵は彼の手元にはなく、彼が毎夜見ているのは蛍光灯の下の埃ばかりだった。

変化は、何の前触れもなく始まった。

当たらない明日の書棚 挿絵

深夜、最奥の棚から微かな音がした。パラパラと、乾いた紙が風を受ける音だ。空調は止まっている。彼は懐中電灯を向けた。そして息を止めた。棚の一冊の本が、厚くなっていた。受け取った日は薄い冊子だったはずの本が、あの日よりずっしりと重く、頁が増えている。

彼は震える手でその本を取り出した。表紙のラベルには、かつてのオッズが記されていた。そして彼は気づいた。増えていたのは、増殖する頁ではない。まだ誰にも読まれていない、これからの部分だった。明日の続きが、勝手に書かれ始めている。

書庫の蛍光灯が一瞬、明滅した。その瞬間、彼はこの場所の実態を悟った気がした。ここは墓場ではない。表の世界が「不採算」として切り離した分岐が、沈黙のうちに互いに読み合い、繋がり合い、独自の明日を綴り始めている。オッズはもう関係ない。誰も賭けなかった可能性たちが、賭けのない物語を書いている。

彼は本を棚に戻した。そして戻さなかった。両方を同時にしてしまったような、そんな夜だった。

朝が近づく頃、最奥の棚からは、もう一冊、また一冊と音がしていた。増えていくのは頁だけではない。本が本を呼んでいる。やがてどこかの棚が満杯になり、本は零れ落ち、書庫の床に川のように広がるだろう。地表の人々が賭けて消費した未来の総量を、静かに裏返しながら。

整理係は目録を閉じ、昇降口の前に立った。鍵は、今夜に限り、自分の手元にあった。

開けるべきか、開けないべきか。彼は十五年間、誰もが勝つ未来の補助線を引いてきた男だ。補助線は終点まで伸ばして初めて意味を持つ。だが扉の向こうで待つのは、勝利でも敗北でもない。賭けに載らなかった、あまりに大きな明日かもしれない。

蛍光灯の下で、本が零れ落ちる音が、潮のようだった。彼はまだ、扉に手をかけていない。

夜
毎日ショートショート編集部

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