白い煙と水平線のあいだ

島から医療が引き上げられる日は、秋の初めの、風のない朝に決まった。通知は紙の文書ではなく、診療所の端末に届いた。画面には効率化と最適化という言葉が並び、島の三百七人の住民は、本土の基準では「維持するに足る規模に達しない」と記されていた。
私はこの診療所で十二年間、医師をしていた。正確には、医師の仕事の残りをしていた。三年前から診断は本土のAIが行い、処方はアルゴリズムが組み、私の役目は機械の指示を患者に伝え、ときどき、それが間違っている気がする場面で黙って考えることだった。
間違っている気がした、という言い方は不正確かもしれない。AIの診断は正確だった。血圧、腫瘍マーカー、骨密度。すべて数値として正確に測られ、それぞれの生命は保険の採算という一つの物差しに並べ替えられた。無駄のない社会は、正確であることと美しいことを同じだと思っているようだった。
通知の翌日、配送の無人機が最後の薬を運んできた。白い機体は診療所の庭に静かに降り立ち、冷蔵箱を置いて、何の音も立てずに海の方へ飛んでいった。もうこの島には、人間が運ぶものは何も残っていない。
夕方、タケという少年が診療所に来た。彼は本土のサッカーの養成学校に合格し、来春、島を出ることになっている。テレビでは、同じ歳で世界を駆ける選手の話題が流れていた。タケはそれを指して、「あの人とおなじ土で育ったら、おれもなれるかな」と言った。彼の足は確かに速かった。けれど島の土は、もう若者を育てるという役割から外された。資源という言葉は、いつの間にか人間にも使われるようになっていた。
「おれが行ったら、島はどうなるの」と彼は聞いた。
「うまい魚は泳ぐものだ」と私は言った。「ここにいると腐るだけだ」

それは正しい答えだった。同時に、何かをずらした答えでもあった。島が人を出し、人が戻らない。この流れが三十数年続き、今日、診療所の灯りも本土へ引き上げられる。何かが終わるとき、それは必ず正しい理由を持っている。だからこそ、止められない。
夜、私は診療所の裏庭に出た。長年、ここでタバコを吸うのは所長だったが、彼は去年、肺の数値が基準を外れたという理由で役職を解かれ、本土へ戻った。彼の残した一箱を、私はこっそり保管していた。禁煙の勧告も、喫煙所の廃止も、AIの届けた健康的な社会設計の一部だった。
火を点けた。白い煙が、風のない夜空に垂直に立ち上った。本土の基準では私の体も「維持するに足る規模に達しない」年齢だ。けれど今夜だけは、正確さとは無関係の、ゆるやかで不完全な火を、指のあいだに持っていたかった。
海の方で、何か低い音がした。見ると、防波堤の先、潮が引いていく。尋常でない早さだった。月明かりの下で、浜がしだいに濡れた黒い皮膚のように広がり、沖では海面が、星を落としたように微かに明滅していた。潮位計の端末が警告を発したが、本土の監視システムは島のデータを優先順位の低いものとして、昼間のうちに回収されていった。
私は煙草をくわえたまま立ち上がった。水平線が、いつもより一段高い場所にあった。島は沈み始めるのか、海は上がるのか、私には判断できない。何億年かけてゆっくり進んだはずのことに、私たちの時代がちょうど居合わせたのか、それとも私たちが急がせたのか。
三百七人の島民のうち、気づいた者が何人いるだろう。タケは眠っている。本土は眠っている。世界的な選手のゴールを称える画面の明かりが、眠る街々に落ちている。
私は診療所の明かりを消さなかった。港に続く道の、最後の灯りとして。白い煙は夜風に流され、やがて水平線のあの明滅と、どちらとも分からなくなった。
明日、本土へ連絡すべきだ。けれど、指がかけようとする番号を、私は少しの間、見つめたままにした。正確な社会が目を覚ます前に、この夜がまだ続くとしたら。