K氏は、しがない営業マンだった。
週末の夜、彼はいつものように行きつけのバーへ向かっていた。
ところが、裏通りを抜ける際、見慣れない看板が目に入った。
「喫茶 エテルニテ」。
古めかしいが、どこか惹きつける雰囲気がある。
K氏はふらりと足を踏み入れた。
店内は薄暗く、ジャズが静かに流れていた。
カウンターの奥には、白いコック帽を被った初老の男が一人。
マスターDと名乗った。
客はK氏の他に、小声で談笑する夫婦と、グラスをじっと見つめる老婦人がいるだけだった。
K氏はブレンドコーヒーを注文した。
マスターDは無表情にカップを差し出した。
その時、隣の席の老婦人がマスターDに声をかけた。
「いつものをお願いします」
マスターDは頷き、奥から小さな琥珀色の小瓶を取り出した。
それをグラスに注ぎ、老婦人の前に置く。
老婦人はそれを一気に飲み干した。
K氏は何気なくその光景を見ていた。
すると、信じられないことが起こった。
老婦人の顔の皺がみるみるうちに消え、髪は黒く、艶を取り戻し、肌は張り詰めた。
まるで、数十年の時を巻き戻したかのように、彼女は二十代の若々しい姿に変貌したのだ。
K氏は驚きのあまり、手に持っていたカップを落としそうになった。
老婦人、いや、若返った女性は満足そうに微笑み、静かに店を後にした。
K氏はマスターDを凝視した。
「あれは一体…」
マスターDは表情を変えず、答えた。
「『時の雫』でございます。当店の秘伝のブレンド。一杯で、ご希望の年齢まで若返ることができます」
K氏の心臓が激しく脈打った。
不老不死。
夢のような言葉が頭をよぎった。
彼は半信半疑ながらも、胸の奥で湧き上がる衝動を抑えきれなかった。
「あの…その、一番効くものはありますか?」
マスターDは薄く笑ったように見えた。
「ございます。『永劫のブレンド』。一度きりですが、永遠にその姿を保つことができます」
K氏は躊躇した。
しかし、年老いることへの恐怖と、永遠の若さを手に入れるという誘惑が、彼を強く押した。
「それを、お願いします!」
マスターDは奥から、さらに小さい、きらめく液体が入った小瓶を出してきた。
それを銀のカップに注ぎ、K氏の前に置く。
K氏は震える手でそれを持ち、一気に飲み干した。
全身に温かい光が満ちる。
K氏は自分が若返っていくのを感じた。
身体が軽くなり、視界が鮮明になる。
彼は最高の気分だった。
「これで、私は永遠を手に入れたのですね!」
K氏が歓喜の声を上げると、マスターDは静かにカップを回収し、言った。
「ええ。永遠に、当店の客として」
K氏はその言葉の意味が分からなかった。
「客として?」
彼は動こうとしたが、なぜか体が動かない。
椅子に吸い付くように固定されている。
他の客を見ると、彼らもまた、動くことなく、ただ座っているだけだった。
彼らの表情は、K氏と同じように、永遠の驚愕を湛えていた。
喫茶エテルニテの明かりは、夜の闇に永遠に灯り続けている。
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