K氏は毎朝、その定期船に乗っていた。
鳥鳴号、それが船の名前だった。
他とは違う、独特の静けさが船内にはあった。
エンジン音は聞こえず、ただ微かな鳥のさえずりが途切れることなく響いていた。
どこから来る音なのか、誰も気にしなかった。
それが当たり前だった。
ある朝、K氏はいつもの席に座った。
窓の外は穏やかな水面が広がっていた。
隣の席には、毎日見かける顔、A氏がいた。
A氏は新聞を読んでいた。
しかし、そのA氏の輪郭が、妙にぼやけて見える。
K氏は目を擦った。
だが、ぼやけは消えない。
いや、むしろ薄くなっている。
A氏の顔が、新聞の文字が、透けて見え始めた。
K氏は息を飲んだ。
これは何だ。
船室の奥の方に目をやると、別の乗客、T氏の姿が、完全に透明になっていた。
T氏が座っていたはずの椅子だけが、虚しくそこにあった。
K氏の心臓が奇妙な音を立てた。
耳元の鳥のさえずりが、ひどく鮮明に聞こえる。
まるで、彼の存在を吸い上げるかのように。
彼の指先が、透明になり始めた。
血管が薄れ、骨格が消え、皮膚が景色に溶け込んでいく。
彼は震える手で、自分の顔を触ろうとした。
だが、すでにそこには何もなかった。
彼は声を出そうとした。
喉は動くが、音は出ない。
視界が、急速に明るくなった。
同時に、全ての輪郭が、曖昧になる。
K氏の座席が、ゆっくりと空になった。
鳥鳴号は静かに進む。
さえずりは止まない。
次の港で、新たに一人の乗客が乗り込んできた。
彼は空いたばかりのK氏の席に、何の疑問もなく座った。
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