M氏は、深い後悔を抱えていた。
数年前の、あるプロジェクトでの決断。
それが彼のキャリアを台無しにした。
夜、彼はいつもと同じ道を、重い足取りで歩いていた。
いつもの公園を通り過ぎ、路地へ迷い込んだ。
薄暗い路地の奥に、見慣れない店を見つけた。
「リライト・カフェ」と書かれた看板は、薄汚れてほとんど読めなかった。
好奇心に引かれ、彼は扉を開けた。
店内は、埃っぽい古書と、静かな時間が充満していた。
客はいない。
カウンターの向こうに、生気のない目をした男、K氏が立っていた。
「何か、お探しですか?」
K氏の声は、感情を帯びていなかった。
M氏はためらいがちに、自分の失敗について語った。
あの時、別の選択をしていれば、全てが変わっていたはずだ、と。
K氏は黙って耳を傾け、やがて頷いた。
「過去の再構築、ですか。承ります。」
K氏はカウンターの下から、小さなガラスの小瓶を取り出した。
中には、水のように透明な液体が揺れていた。
「これを飲み、目を閉じ、最も鮮明な後悔の瞬間を思い出してください。」
K氏の指示は簡潔だった。
M氏は小瓶を一気に飲み干した。
無味無臭だが、飲んだ瞬間、頭の奥で微かな光が閃いた気がした。
彼はK氏の言う通り、目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは、あの契約書にサインする、過去の自分だった。
奇妙なことに、その時のM氏の心には、一切の焦燥感も、後悔もなかった。
ただ、冷静に、その光景を見つめている自分がいた。
まるで、他人事のように。
まるで、記録された映像を眺めているかのように。
どのくらいの時間が経ったのか。
M氏が目を開けると、そこは自宅の寝室だった。
窓の外は、すでに朝の光が差し込んでいる。
夢だったのか?
彼は慌てて、スマートフォンを手に取った。
ニュースサイトを開く。
数年前の、あのプロジェクトに関する記事は、変わらず存在していた。
彼の失敗も、記されたままだ。
M氏は深く息を吐いた。
何も変わっていない。
だが、その事実に、以前のような絶望はなかった。
彼の心は、驚くほど静かだった。
契約は失敗したままだ。
キャリアも元に戻らないだろう。
しかし、その重荷は、彼の心から消え失せていた。
過去をやり直したのではない。
彼自身の心が、過去の出来事に対する「意味」を再構築したのだ。
リライト・カフェは、彼の内側にある「何か」を呼び起こすための、ただの仕掛けだった。
目の前のテーブルには、昨夜はなかったはずの、古びたマッチ箱が置いてあった。
そこに書かれた文字は、確かに「リライト・カフェ」だった。
そして、その裏には、小さな文字でこう記されていた。
「すべての真実は、あなたの内にある。」
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