カナダ氏は、夕暮れ時のカフェ「憩いの空間」を愛用していた。
窓際の席は、彼の定位置だった。
薄暗くなる店内で、彼はいつも同じブレンドコーヒーを注文した。
マスターは無口だったが、カナダ氏はその静けさを好んだ。
客は少なかった。
特に夕方は、彼とマスター、そして数人の常連客だけが残る。
しかし、その数人の顔ぶれは、いつも決まっていた。
それが、最近は少し違っていた。
ある日の夕方。
いつも奥のテーブルに座る、編み物好きのフジワラ夫人が見えなかった。
彼女の指定席には、これまでなかった奇妙な柄のクッションが、ぴたりと置かれていた。
いかにもカフェの備品として、以前からそこにあったかのように。
カナダ氏は、気のせいかと思った。
その翌週。
いつもカウンターで新聞を広げているサトウ氏の姿もない。
彼が座っていた場所には、真新しい木製のブックスタンドが立てられていた。
まだインクの匂いがするようだった。
それは、サトウ氏がいつも読み残していた新聞を挟むのに最適な形をしていた。
カナダ氏は不審に思った。
しかし、マスターは何も語らない。
ただ、いつも通り静かにコーヒーを淹れるだけだった。
さらに日が過ぎるにつれて、カフェの客は一人、また一人と姿を消していった。
彼らがいた場所には、これまで見慣れない備品が増えていった。
磨かれた真鍮のコートハンガー。
奇妙な形をした観葉植物の鉢。
古びた木製のマガジンラック。
それらは、まるで最初からカフェの風景の一部だったかのように、驚くほど自然に溶け込んでいた。
カナダ氏は、カフェが少しずつ賑やかになっているようにも感じた。
奇妙なことだった。
カナダ氏は、ある確信めいた考えにたどり着いた。
彼はゆっくりと自分の指先を見た。
指の先が、少しばかり固く、そしてわずかにざらついているように感じた。
まるで使い込まれた木目のような模様が、手の甲に薄く浮き出ている気がした。
テーブルに手を置くと、自分の肌と木材の境界が曖昧になるようだった。
まるで自分の体が、カフェの備品へと変容していくかのように。
視界の端で、マスターが新しいコースターを丁寧に磨いているのが見えた。
それは、つい先日まで隣の席に座っていたヤマモト氏が、いつもテーブルに置いていた古い革財布そっくりだった。
カナダ氏はそっと目を閉じた。
彼の体は、既にテーブルの木目と一体化し始めていた。
店内の照明が、彼の体にゆっくりと溶けていくのを感じた。
そして、彼が最後に感じたのは、誰かが彼の背中、もとい新しいテーブルの天板に、熱いコーヒーカップを置く、ごくわずかな重みだった。
今日も「憩いの空間」では、静かに新しいテーブルが一つ、増えたのだった。
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