早朝の光が、アルム村の石畳を優しく照らしていた。
ユウキは、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、いつもの小道を歩く。
鳥のさえずりが、静かな村に響き渡る。
村の奥には、古くから伝わる「希望の井戸」があった。
伝説によれば、その井戸を覗き込めば、未来の断片が見えるという。
しかし、これまで鮮明な未来を見た者は少なく、単なる言い伝えとして語り継がれてきた。
その日、ユウキは友人サクラに出会った。
彼女は息を切らし、興奮した様子で話す。
「ユウキ、聞いた? 希望の井戸よ! 水面が、本当に未来を映し出すの!」
サクラの声は高揚していた。
彼女は井戸を覗き、裕福な商人になる自身の姿を見たという。
村人たちは、まるで巡礼者のように井戸の前に列をなしていた。
皆、期待と不安の入り混じった表情で、自分の番を待っている。
老いた農夫は、豊作と家族の健康な未来に涙し、若い娘は、遠い町で華やかな生活を送る自身の姿に頬を染めた。
誰もが、井戸が映し出す「輝かしい未来」に歓喜し、安堵していた。
ユウキも好奇心に駆られ、列の最後に並んだ。
ゆっくりと進む列は、不思議な熱気を帯びている。
やがて彼の番が来た。
ユウキは、静かに井戸を覗き込む。
澄んだ水面が揺らぎ、彼の未来を映し出した。
そこには、彼が長年懸命に目指していた、誰もが羨むような目標が、何もしなくても達成されている「完璧な未来」があった。
ユウキは最初に安堵したが、すぐに奇妙な感覚に襲われた。
それはまるで、誰かが用意した豪華な料理を、ただ食べるだけの感覚だった。
井戸の周りでは、未来を知った村人たちが、以前のような活気を失いつつあった。
農夫はもう、畑の出来を心配しない。病人がいた家族も、回復が約束されていると知り、治療を怠るようになった。
誰もが、来るべき「幸福」をただ待つだけの存在になっていく。
努力も、挑戦も、未来を変えるための熱意も、すべてが無意味になったかのようだった。
村全体が、静かに、そしてゆっくりと停滞していく。
幸福であるはずなのに、彼らの瞳には、深い虚無感が宿っているように見えた。
ユウキは、もう一度井戸を覗き込んだ。
水面は揺らぎ、今度は、かつてこの井戸を掘ったとされる古代の村人たちの姿が映し出される。
彼らの瞳は、まだ見ぬ未来への希望に満ち、輝いていた。
しかし、その輝きは、井戸を掘り終えた瞬間に、まるで炎が消えるかのように失われていく。
希望の井戸は、未来を見せることで、同時に未来を奪う装置だったのだ。
そして、井戸の底から、小さな、しかしはっきりと聞き取れる声が、静かに響いた。
「これで、もう誰も私を掘り返すことはない。」
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