K氏は古びた倉庫の片付けをしていた。
相続した広い屋敷の、忘れ去られていた一角だった。
埃まみれの奥で、K氏は奇妙なものを見つけた。
壁に埋め込まれた小さな木製の扉。
手のひらほどの大きさで、まるで汗をかいているかのように湿っていた。
K氏が触れると、ひんやりとした。
好奇心に駆られ、彼はゆっくりと扉を開けた。
中は真っ暗で、何もなかった。
再び扉を閉めようとした、その瞬間。
部屋の隅に置かれた、使い古されたマグカップが、かすかに震えた。
「…おはようございます、ご主人様」
澄んだ声が響き、K氏は耳を疑った。
まさか、と振り返ると、今度は近くの錆びたペン立てが言った。
「やっとお目覚めになられましたか」
ペン立ての中のボールペンまでが「ええ、少しばかり長旅で」と応じる。
混乱するK氏をよそに、倉庫のあらゆる物が話し始めた。
古時計は「時間は正確にお伝えします」と告げ、壊れたラジオは「音楽はまだ無理ですが、ニュースは聞けます」と懸命にアピールした。
彼らは皆、K氏の記憶の中にある、使い慣れた物たちだった。
最初は戸惑ったK氏だが、すぐに彼らの存在を受け入れた。
物たちは彼の日常を彩り、時には忘れ物を知らせ、時には疲れた心を癒やした。
孤独だったK氏の生活は、あっという間に賑やかで温かいものに変わっていった。
彼らはK氏の良き友人であり、忠実な使用人でもあった。
そんな幸せな日々が、どれくらい続いただろうか。
ある晴れた朝、マグカップが静かに言った。
「ご主人様、私たち、そろそろ次の場所へ参ります」
他の物たちも皆、同じ言葉を口にした。
K氏は動揺した。「どこへ行くのだ。なぜだ?」
古時計が答えた。「魂にも、寿命がございます。そして、新たな経験が必要です」
ボールペンが続けた。「ご主人様のおかげで、私たちは素晴らしい一時を過ごせました」
物たちは次々と、あの汗ばんだ扉の前に並んだ。
彼らはK氏に感謝の言葉を述べ、深々と頭を下げた。
そして、一つずつ扉をくぐり、音もなく消えていった。
静寂が戻った倉庫に、K氏は一人取り残された。
心には深い喪失感が広がるものの、不思議と温かい感情も残っていた。
その時、K氏はふと、あることに気づいた。
あの小さな木製の扉は、まだ汗をかき続けていたのだ。
そして、彼の足元に転がっていた、何の変哲もない小さな石ころが、かすかに震え、微かな声で「…ご主人様?」と語りかけた。
K氏は微笑んだ。彼の役目は、まだ終わっていなかったのだ。
彼は、この世界の「魂の受付係」なのである。
#ショートショート#毎日投稿#AI#ファンタジー系#昼
コメント