午前六時。
観測所は静寂に包まれていた。
オオタはコーヒーを淹れ、イシダはモニターを睨んでいた。
いつもの朝だった。
「異常ありません、オオタさん。」
イシダの声は機械的だった。
広大な宇宙空間から送られてくる膨大なデータは、常に安定していた。
それが彼らの日常だった。
七時三十二分。
イシダが突然、手を止めた。
「これは……何でしょう?」
彼の視線の先には、メインモニターに表示された不可解なパターンがあった。
白いノイズのように見えたが、不規則な揺らぎの中に、奇妙な法則性を含んでいた。
オオタが近づき、画面を覗き込んだ。
「センサーの故障か?いや、これは違うな。」
データは完璧な整合性を示しているのに、視覚的な表示だけが歪んでいた。
歪みはゆっくりと、しかし確実に広がっていった。
八時五分。
ノイズは黒い線へと変容し始めた。
まるで、空間に亀裂が入ったかのようだった。
観測所の照明が微かに明滅した。
空調の音が、わずかにずれたように聞こえた。
「次元の裂け目、としか考えられません。」
オオタは冷静に呟いた。
理論上は存在し得る現象だが、これほど明確に観測されたことはない。
データ解析の結果、それは確かに「非物理的な亀裂」を示していた。
彼らは即座に上層部へ報告した。
上層部も冷静だった。
「引き続き観測を。安全を最優先せよ。」
指示は簡潔だった。
九時四十分。
裂け目はモニターの端から端まで広がり、その向こうには真っ黒な虚空が見えた。
虚空はしかし、何も映していなかった。
ただ、光を吸い込むような黒があった。
観測所の壁が、ミシミシと音を立て始めた。
空気が、微かに冷たくなった。
イシダは観測データを指さした。
「オオタさん、これを見てください。」
データは、奇妙なことに、裂け目の向こう側から何かが流入していることを示していた。
それは、未知のエネルギーでも物質でもなかった。
それは、情報だった。
流入する情報は、急速に観測所のシステムを書き換えていった。
モニターの文字が反転し、色が変わった。
観測員たちの座る椅子の位置が、微妙にずれたように感じられた。
オオタは最後の記録を送信しようとした。
しかし、送信ボタンを押した瞬間、モニターに警告が表示された。
「エラー:送信先が存在しません。」
周囲の壁が、ガラスのように透明になった。
その向こうには、彼らが見慣れた観測所があった。
自分たちがいた場所が、裂け目の向こう側から見える状態になっていた。
そして、その観測所の内部には、二人の男が座って、こちらを覗き込んでいるのが見えた。
彼らは、オオタとイシダに酷似していた。
自分たちが観測していた「虚空」は、実は自分たちの世界の「向こう側」だったのだ。
そして彼らは、静かにデータを記録していた。
その顔には、いつもの即物的な表情が浮かんでいた。
彼らは、私たちなのだろうか。
それとも、私たちは彼らなのだろうか。
モニターが完全に黒く染まった。
その黒い画面の隅に、小さな文字が浮かび上がった。
「観測終了」
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