ヨシダ博士は腕時計を見た。
時刻は午前十時。
「スズキ君、準備はいいかね?」
博士は隣に立つスズキ技師に問いかけた。
「いつでも。ドーム内の環境は完璧です。陽射しも最高の状態」
スズキ技師が白い手袋をはめながら答えた。
彼らの前には巨大な透明なドームがあった。
ドームの中央には、様々な種類の植物の種がまかれた土と、数匹の小動物、そしていくつかの昆虫が置かれている。
「助手A、記録を頼む」
ヨシダ博士が指示した。
「はい、博士」
助手Aがデジタルタブレットを構えた。
これは「時空間加速装置」の最終実験だった。
太陽光を集め、特殊なレンズを通してドーム内に照射することで、内部の時間の流れを操作する。
理論上は、数時間の照射で数千年分の進化を観察できるはずだった。
装置が起動した。
ドームの中央にある巨大なレンズが光を集め、強烈な光線が内部に降り注いだ。
ドーム内の温度がわずかに上昇した。
数分後、土の中から緑色の芽が顔を出す。
それは瞬く間に伸び、葉を広げ、花を咲かせ、実を結び、そして枯れていった。
新たな種が落ち、再び芽を出す。
そのサイクルは、彼らの目にはほとんど連続的な緑の霧のように見えた。
「素晴らしい…予想以上の速度だ」
ヨシダ博士が感嘆の声を漏らした。
しかし、スズキ技師の顔には僅かな困惑があった。
「博士、小動物たちの様子が…」
ドームの隅に置かれたハムスターが、ゲージを齧る速度が異常に速かった。
数秒ごとにゲージの形状が変わるように見えた。
やがて、その動きは止まり、ハムスターは檻の中で死んだ。
その傍らから、見たことのない毛並みと牙を持つ生物が這い出てきた。
元のハムスターとは全く異なる、肉食獣のような姿だった。
「ほう…進化がここまで早く顕在化するとは」
ヨシダ博士は興味深そうに観察した。
だが、その生物は彼らを鋭い眼差しで見つめ、ドームの壁に体当たりを始めた。
「出力をもっと上げろ!」
ヨシダ博士は興奮していた。
スズキ技師は躊躇したが、指示に従った。
装置から放たれる光はさらに強烈になった。
ドーム内の植物は、もはや元の姿をとどめていなかった。
巨大な肉食植物のようなものが蠢き、胞子を撒き散らしている。
昆虫たちは手のひらほどの大きさに変異し、硬質な甲羅をまとっていた。
そして、あの肉食生物は、二足歩行を始め、石を拾い上げ、ドームのガラスに打ち付けていた。
「これは…危険です、博士!」
スズキ技師の声が震えた。
ドームのガラスに亀裂が入る。
「いや、これは進化の最前線だ!我々は目撃者なのだ!」
ヨシダ博士はモニターに映る異様な光景に釘付けだった。
助手Aはすでに顔面蒼白で、記録どころではなかった。
亀裂は広がり、やがて巨大な岩がガラスを突き破った。
異形の生物たちが外へ飛び出してきた。
ヨシダ博士、スズキ技師、助手Aは、パニックに陥り、研究所の中を逃げ惑った。
彼らは非常口から外に出た。
太陽光が降り注ぐ広大な平野が目の前に広がっていた。
研究所の建物は、すでに背後にそびえる異形の植物群に飲み込まれつつあった。
彼らの耳には、自分たちの言葉とは思えない、異質な言語が聞こえてきた。
空には、見たこともない鳥が羽ばたき、地平線の向こうには、知的な都市を思わせる構造物が見えた。
「私たちが…一体どれほどの時間を…」
ヨシダ博士が呟いた。
彼らの手足はわずかに変形し始めていた。
その時、目の前を通り過ぎた三体の生物がいた。
彼らは簡素な衣服を纏い、手にタブレットのようなものを持っていた。
まるで、昔の人間のような姿だった。
三体の生物は、研究所の残骸と、その中から這い出してくる異形の生物を、興味深そうに眺めていた。
そして、その一体が、タブレットに何かを記録しながら呟いた。
「これで、最後の痕跡も消えるな」
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