夜の帳が降りた。
タカシはいつものように、ディスプレイの光が放つ人工の宇宙に身を沈めていた。
キーボードを叩く指は滑らかだ。
オンラインゲームのギルドメンバーとの会話は、賑やかなチャットウィンドウを埋めていく。
同時に、隣のモニターではSNSのタイムラインが高速で流れ、ニュースサイトが最新の情報を絶えず更新していた。
世界は常に動いている。タカシはその流れの中にいると信じていた。
突然、ゲーム内のキャラクターが停止した。
チャットウィンドウの文字入力も受け付けない。
「どうした?固まったか?」
タカシは独りごちた。
隣のモニターを確認する。
SNSの更新は止まり、ニュースサイトの日付は数秒前で固定されていた。
ブラウザを閉じ、再度開く。しかし、状況は変わらない。
ネットワーク自体は繋がっているように見える。
回線速度テストは正常値を示した。
スマートフォンの通知音が鳴る。
友人からのメッセージだ。「おい、ネットが凍結したぞ!お前もか?」
間もなく、国内外のメディアが緊急速報を流し始めた。
「サイバースペース時間凍結現象、発生」
その言葉が、タカシの耳に、まるで他人事のように響いた。
サイバースペース、つまりインターネット上のあらゆる情報、データ、サービスが、ある瞬間を境に完全に停止してしまったのだ。
人々は混乱した。
仕事の会議は中断され、オンラインショッピングは不可能となり、SNSは沈黙した。
政府は原因究明に全力を挙げると発表したが、有効な手立ては見つからない。
タカシは窓の外を見た。
夜空には、いつものように無数の星が瞬き、まるで降るかのようだ。
その光景は、モニターの中の静止したデータ粒子と奇妙な対比をなしていた。
現実の世界は動いている。
人々は食料を買い、道を歩き、言葉を交わす。
だが、誰もがどこか喪失感を抱え、空虚な目をしていた。
数週間が経過した。
サイバースペースの凍結は解除されない。
人々は徐々に、画面を見る時間を減らし、現実世界での交流や趣味に目を向け始めた。
かつては「無駄」だと思われた散歩や読書が、新たな価値を持つようになった。
タカシもまた、友人との会話は電話や直接会う形に変わり、ゲームの代わりに古い小説を読むようになった。
ある夜、タカシはベランダに出て、満天の星空を仰いだ。
無数の星が、途方もない距離と時間を経て、地球にその光を届けている。
その光景を見て、彼は悟った。
この「サイバースペース時間凍結現象」とは、我々が常に浴び続けていた膨大な情報という名の「星屑」にすぎなかったのだ。
そして、それらの星屑に魅入られ、自ら思考と時間を停止させていたのは、他ならぬ我々自身だったのだと。
人々はサイバースペースの凍結を嘆き、その解除を願うが、真に凍結していたのは、自らの選択と行動の自由を放棄した、彼らの心そのものだった。
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