タナカ氏は、毎朝同じ時間に市役所の門をくぐった。
鉄筋コンクリートの建物は、光沢のある白い壁と、磨き上げられたステンレスのドアが印象的だった。
受付にはいつも、笑顔を絶やさない若い女性職員が立っている。
「おはようございます!」
その声は、希望に満ちているようだった。
タナカ氏の席は市民課の一角にある。
そこは毎日、様々な書類が行き交う場所だった。
しかし、ある朝から、タナカ氏の目に映る世界は少しだけ違っていた。
市民が持ってくる住民票の申請書は、いつもの白い紙に、青い文字で記されている。
だが、タナカ氏にはそれが、ほんのわずかにくすんだ灰色に見えたのだ。
一方で、未来の都市計画に関する資料は、まばゆいばかりの鮮やかな緑色に輝いていた。
タナカ氏は最初は眼の錯覚かと思った。
しかし、日を追うごとにその現象ははっきりとしていく。
陳情書は憂鬱な鉛色に、新しい事業の企画書は燃えるような赤色に。
書類の色が、その内容と人々の感情を映し出しているかのようだった。
同僚のヤマダ氏に尋ねてみた。
「ヤマダさん、この企画書、何色に見えますか?」
ヤマダ氏は首を傾げた。
「ん? いつもの白ですよ。何か問題でも?」
タナカ氏が見ている色は、どうやら彼にしか見えていないようだった。
タナカ氏は静かに観察を続けた。
市役所のシステムは、まるでこの見えない色によって動いているかのようだった。
明るい色の書類は、驚くほどスムーズに処理されていく。
逆に、くすんだ色の書類は、各部署で滞留し、山と積まれていくのが常だった。
タナカ氏は自分が、この市役所の真の姿を見ているのだと確信した。
希望は明るい色に、絶望は暗い色に。
世界は色に満ちている。
ある日、タナカ氏は自身の考案した「未来型市民センター構想」の企画書を提出した。
それはタナカ氏にとって、これまでの人生で最も情熱を注いだものだった。
提出された企画書は、タナカ氏の目に、見たこともないほどの鮮やかな虹色に輝いていた。
ページをめくるたび、虹色の波が揺らめき、希望に満ちた未来がそこにあるかのようだった。
課長は書類を一瞥した。
「これは素晴らしい。夢がある。タナカ君の情熱が伝わってくるよ」
その言葉に、タナカ氏の心は高揚した。
しかし、課長は書類を、何の変哲もない灰色の「予算なし」と書かれた書類の山に置いた。
ヤマダ氏の席から見ると、それはただの白い紙に、黒い文字が羅列されているだけだった。
タナカ氏が見ていた虹色は、彼自身の心の中にしか存在しなかったのだ。
#ショートショート#毎日投稿#AI#日常系#朝
コメント