会社の休憩室はいつも通り活気に満ちていた。
昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、社員たちが三々五々、持ち場を離れて集まってくる。
K氏は窓際の席を確保し、持参したサンドイッチを取り出した。
その時、隣の席に誰かが座った。
見慣れない顔だった。
しかし、その人物はK氏に親しげに話しかけてきた。
「やあ、Kさん。昨日のプロジェクト、お疲れ様でした。例のバグ、あっさり解決したそうですね」
K氏は相手の顔をまじまじと見た。
自分の部署にはいない顔だ。
だが、声は穏やかで、まるで旧知の仲であるかのような口ぶりだった。
K氏には昨日のプロジェクトで特に目立った働きをした記憶も、バグを解決した覚えもなかった。
「あ、はは……。どうも」
K氏は曖昧に返した。
「おや、忘れちゃいましたか? いつものことですね、Kさんは。集中すると周りが見えなくなるタイプですから」
その人物は屈託なく笑った。
X氏と名乗った。
X氏は続けて言った。
「そういえば、奥さんの体調はいかがですか? 最近、寝不足気味だとか」
K氏は凍り付いた。
妻の体調は、ごく親しい知人にしか話していないはずだ。
しかも、なぜこのX氏がそれを知っているのか。
K氏は周囲を見回した。
他の社員たちは、まるでX氏の存在を当然のように受け入れているようだった。
いつも通りに談笑し、いつも通りに昼食をとっている。
「すみませんが、Xさんでしたね。失礼ですが、どちらの部署の方で?」
K氏が尋ねると、X氏は少し困ったような顔をした。
「何を言ってるんですか、Kさん。私たちは隣の部署じゃないですか。昨日の打ち合わせでもご一緒でしたよ?」
K氏の頭の中で何かが軋む音がした。
隣の部署にX氏のような人物はいない。
少なくとも、K氏の記憶には。
「もしかして、私の記憶違いでしょうか……?」
K氏はつぶやいた。
不安が胸に広がる。
自分が何か重要なことを忘れているのか、それともこのX氏が何かの悪戯をしているのか。
しかし、X氏の目は真剣だった。
周りの同僚も、K氏の言葉に一瞬だけ視線を向けたが、すぐに普段の会話に戻った。
X氏は、K氏の顔をじっと見つめた。
そして、静かに言った。
「Kさん。あなたは、いつからこの会社にいますか?」
K氏は答えた。
「五年になります」
X氏は首を傾げた。
「そうですか。私は、あなたが今日からこの会社に来たのだと思っていました」
K氏の背筋に冷たいものが走った。
X氏は続けた。
「いや、正確には、今日からあなたが『K氏』になったのですよ」
K氏の手からサンドイッチが滑り落ちた。
その時、背後から同僚Aの声が聞こえた。
「あれ? Kさん、今日からでしたよね? もう馴染んでますね!」
K氏は自分の記憶と、周囲の現実が、完全に乖離していることに気づいた。
K氏の存在は、今日、この休憩室で、設定されたばかりだった。
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