村はずれの古い井戸は、もう何十年も使われていなかった。
底にはわずかに水が溜まっているだけで、子供たちの遊び場になることも稀だった。
しかし、その日の夕暮れ時、ケンタ、タロウ、そしてタロウの妹ハナコは、その井戸の周りで暇を持て余していた。
遠くから、村の老人であるジイさんが彼らの様子をぼんやりと見守っていた。
「ねえ、井戸の底ってどうなってるんだろう?」
ケンタが言った。
好奇心旺盛な彼は、井戸の縁に膝をつき、身を乗り出して底を覗き込んだ。
夕日の光が井戸の奥まで届かず、底は薄暗く、水面は不気味にゆらめいていた。
ケンタはポケットから小石を取り出し、そっと井戸の中へ落とした。
ポチャン、と小さな水音が響き、波紋が広がった。
「見えなくなった」
彼はつぶやいた。
タロウとハナコも隣に座り、身を乗り出すが、水が濁り、底ははっきりとは見えない。
「もっとよく見ようよ」
ケンタはそう言うと、さらに深く身を乗り出した。
その時だった。
ずるりと、土が崩れる音がした。
「わっ!」
ケンタは短い悲鳴を上げ、井戸の中へ吸い込まれるように落ちていった。
タロウとハナコは息を呑んだ。
二人は慌てて井戸を覗き込むが、ケンタの姿はどこにも見えない。
水面は再び静かになり、何事もなかったかのように夕焼けを映していた。
「ケンタ!」
タロウが叫んだが、返事はない。
その異変に気づいたジイさんが、杖をつきながらゆっくりと近づいてくる。
ジイさんは懐中電灯を取り出し、井戸の底を照らしたが、やはり底はただの暗闇だった。
井戸はそれほど深くはなかったはずだが、光はどこにも届かない。
「ケンタ、どこにいるんだよ!」
タロウは不安に駆られ、今度は自分が井戸の縁に深く身を乗り出した。
ハナコが「ダメだよ!」と叫ぶ声も耳に入らない。
次の瞬間、タロウもまた、まるで何かに誘われるかのように井戸の中へ。
ハナコの悲鳴が響き渡ったが、タロウの姿もまた、跡形もなく消えていた。
ジイさんは顔色を変えた。
こんな奇妙なことは、彼の長い人生でも初めてだった。
彼は震える手で井戸の縁を掴むと、恐る恐る中を覗き込んだ。
ハナコが彼の服の裾を引っ張って「ジイさん、行っちゃダメ!」と懇願する。
「大丈夫だ。ちょっと見てくるだけじゃ」
ジイさんはそう言って、ゆっくりと井戸の中へ。
その老いた体も、やはりあっという間に姿を消した。
ハナコは井戸の縁に一人残された。
夕焼けは空から急速に消え失せ、あたりは薄闇に包まれ始めていた。
恐怖で足がすくむ中、ハナコは意を決して、もう一度井戸の中を覗き込んだ。
井戸の底には、先ほどまでと変わらず澄み切った水が満ちていた。
水面は穏やかに、夕闇に染まる村の景色を映し出している。
しかし、ハナコは驚愕した。
その水面に、井戸の縁に立つ自分の姿が映っていないのだ。
代わりに、井戸の底の風景の中に、遠くからこちらを見つめるケンタとタロウ、そしてジイさんの姿があった。
彼らは井戸の底の村に立ち、ハナコに向かって静かに手を振っていた。
ハナコが井戸から顔を上げると、背後から「やあ、ハナコ」と優しい声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、井戸の底で手を振っていたはずのケンタだった。彼は井戸の縁に立ち、ハナコを覗き込んでいた。
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