ヨシダ博士は、埃だらけの実験室で古い装置の電源を切った。
壁には「閉鎖まであと3日」の貼り紙。
隣でヤマモト助手が、最後の段ボール箱をガムテープで閉じていた。
「結局、何一つ完成しなかったな」
ヨシダが呟いた。
ヤマモトは頷いた。
二人の研究室は、テレパシー能力の開発を目指していた。
莫大な費用と時間を投じ、結果はゼロ。
虚無感だけが残った。
ふと、ヨシダの目に、隅に追いやられた小型のヘッドギアが留まった。
初期の試作機、「思考増幅装置タイプβ」。
一度も正常に機能したことはない。
「最後に、お遊びでもどうだ?」
ヨシダが提案した。
ヤマモトは肩をすくめた。
「どうせ無駄ですよ」
それでも、二人は装置を起動させた。
ヤマモトがヘッドギアを装着する。
ヨシダは操作パネルのスイッチを入れた。
ジー、という低い電子音が響く。
数秒後、ヨシダの頭の中に声が響いた。
『ああ、またこんな馬鹿げたことを。』
それは、ヤマモトの声だった。
驚いてヨシダは叫んだ。
「聞こえるぞ、ヤマモト! 君の声が!」
ヤマモトは目を見開いた。
「博士もですか? 私の頭にも、博士の声が聞こえています!」
『この老いぼれめ、また無駄な実験を。』
ヨシダの耳に、罵りの言葉が直接流れ込んできた。
ヨシダは顔を赤くした。
「何だその口の利き方は!」
『うるさい、早くこのクソみたいな場所から解放されたい。』
ヤマモトの思考は止まらない。
『それにしても、博士は研究費の横領がバレなくて良かったな。』
ヨシダは凍り付いた。
「な、何を言っているんだ!」
『あの助成金、まさか愛人のマンションに使ったとはな。』
ヤマモトは平然とした顔で、しかしその思考は鋭利な刃物だった。
ヨシダの思考もまた、ヤマモトへと流れ込んでいた。
『こいつ、いつから私のことをそんな風に見ていたんだ?』
『いや、そもそもヤマモト自身も裏で株取引で儲けているではないか。』
『あの妙に羽振りが良かったのはそういうことか。』
『妻にばれて離婚騒動になったらどうするつもりだ、この欲ボケめ。』
互いの心の奥底の、最も醜悪な部分が露呈していく。
顔は平静を装っていても、思考は泥沼だった。
二人の間に、張り詰めた沈黙が走った。
突然、装置が「ピーッ」と高い音を立てて停止した。
故障したのだ。
二人の耳に、互いの思考はもう聞こえない。
ヨシダはヤマモトを見た。
ヤマモトもヨシダを見た。
そこにあったのは、もはや科学者の好奇心ではなかった。
『まったく、今まで隠し通せたのが不思議だ。』
ヨシダは、はっきりとそう感じた。
『ええ、お互い様でしょう。』
ヤマモトも、同じように確信した。
テレパシーは、本当に機能したのだろうか。
いや、そうではない。
彼らが「聞こえた」と認識したのは、
長年共に過ごす中で、薄々感じていた相手の隠れた本性や、
互いの不信感が、閉鎖という極限状態によって、
想像力の中で増幅され、明確な「声」として認識されただけだった。
互いの行動や言動の裏に隠された真意を、
彼らは既に知っていたのだ。
そして今、それが「テレパシー」という形をとって表面化した。
彼らが開発しようとしていた「テレパシー」とは、結局のところ、
人間関係における、言葉にならない不信と本音の比喩でしかなかったのだ。
彼らの研究は、最初から成功していたと言えるのかもしれない。
#ショートショート#毎日投稿#AI#SF系#夕方
コメント