K氏は毎晩、同じ地下道を通って帰宅した。
人通りは少なく、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
コンクリートの壁と、規則的な蛍光灯の並び。
それは、変わり映えのしない日常の一部だった。
ある深夜、いつものように地下道に足を踏み入れたとき、彼は異変に気づいた。
天井の換気口から、ありえないほど明るい月光が差し込んでいた。
それは青白く、通路の半分を奇妙な模様で染め上げていた。
K氏は立ち止まり、見上げた。
この地下道に、月光が届くはずはない。
彼はゆっくりと光の帯の中へ進んだ。
足元に、淡く光る線が浮かび上がっていた。
それはまるで誰かが歩いた痕跡のように見えた。
しかし、足跡のようでもなく、抽象的な幾何学模様のようでもあった。
K氏がその線に触れようとすると、それは瞬時に消え去った。
だが、すぐに彼の少し先に、また別の光の線が浮かび上がった。
K氏は少し焦燥感を覚えた。
彼はいくつかの線を追いかけた。
消えては現れ、消えては現れる。
まるで彼を誘うかのように、線は奥へと続いていた。
彼はあることに気づいた。
その線は、彼のこれまでの人生の記憶と重なる部分があった。
子供の頃に遊んだ道筋。
学生時代に恋人と歩いた公園の小道。
仕事で成功した日の帰り道。
だが、そのどれもが、彼が触れると消える。
掴みきれない、過去の幻影のようだった。
「これは一体…」K氏は呟いた。
彼は試しに、目の前の線を避けて歩いてみた。
すると、彼が選んだ新しい道筋に沿って、別の線が瞬時に現れた。
そして、彼が避けたはずの元の線は、やはり消えた。
まるで、彼がどう行動しても、その結果が先に記されているかのようだった。
K氏は深い不安に襲われた。
自分の意志で歩いているはずなのに、その一歩一歩が、既に誰かに描かれた道筋に従っているように感じられた。
彼は立ち止まろうとした。
しかし、彼の足元には常に次の光る線が浮かび上がり、彼を前へと押し出す。
まるで、その線に従わない限り、彼はこの場所から一歩も動けないかのようだった。
彼は半ば諦め、線に導かれるまま歩き続けた。
地下道はどこまでも続き、出口が見えない。
やがて、彼は一つの壁に突き当たった。
そこには、これまで見てきたどの線よりも鮮烈な、強烈な光を放つ線が浮かび上がっていた。
それは、まるで巨大な螺旋階段のように、壁を上へと伸びていた。
そして、その線は、K氏がどれだけ手を伸ばしても、触れても、決して消えることはなかった。
線は彼の身体を巻き込み、地下道の壁へと引きずり込んだ。
彼は抗ったが、無駄だった。
その時、K氏の脳裏に、彼がこの地下道に入った瞬間の記憶が鮮明に蘇った。
あの時、彼が足を踏み入れた場所には、すでに彼自身の足跡が、淡い光の線となって浮かんでいたのだ。
K氏は理解した。
彼は、この地下道に「来るべくして来た」存在だった。
彼の人生の全ては、この地下道に記された、消えない痕跡として存在していたのだ。
そして、彼が今、吸い込まれていくこの螺旋こそが、彼の最後の、そして永遠に消えることのない痕跡だった。
月光は、彼が「残した」痕跡を照らし続けるだろう。
彼はもはや、自分自身の影すら見つけることができなかった。
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