K氏は夜の闇を歩いていた。
終電を逃し、会社から自宅までを徒歩で帰ることにしたのだ。
いつもは通らない細い路地を選んだ。
疲労が全身を蝕んでいた。
ふと、古びた壁に小さな扉を見つけた。
今まで一度も気がつかなかった。
僅かな光が隙間から漏れている。
K氏は吸い寄せられるように、その扉を開けた。
中は、古びた保健室のようだった。
薬品の匂いがかすかに漂う。
白い制服を着た女性が立っていた。
「あら、Kさん。いらっしゃい」
女性は柔らかな声で言った。
K氏は首を傾げた。
この女性に会った覚えはない。
「ここは…どちら様で?」
女性は微笑んだ。
「ここは、あなたが『必要になった時』に訪れる場所ですよ」
K氏を促し、奥のベッドへ案内する。
古い木製のベッドがいくつか並んでいた。
その一つに、初老の男が横たわっている。
男はK氏を見て、かすれた声で言った。
「やあ、Kさん。また来たのかね」
K氏はますます混乱した。
どうして皆、自分の名前を知っているのだ。
女性は小さな瓶を取り出した。
中には青白い液体が揺れている。
「お疲れでしょう。これを飲んでください」
K氏はためらった。
「一体何を…」
女性はK氏の手をそっと取り、瓶を握らせた。
「大丈夫。いつも通りですよ」
男の声が聞こえた。
「ああ、いつも通りだ。飲むんだ、Kさん。そうすれば、また明日から頑張れる」
K氏は不快な予感を覚えた。
しかし、疲労は限界に達していた。
抵抗する気力もなく、瓶の中身を一気に飲み干した。
液体はほんのり甘く、すぐに強烈な眠気が襲ってきた。
K氏の意識は、あっという間に闇の中へと沈んでいった。
翌朝、K氏は自分のベッドで目覚めた。
清々しい目覚めだった。
昨夜の出来事は、まるで遠い夢のようだ。
シャワーを浴び、朝食を済ませ、会社へ向かった。
オフィスに着くと、同僚のS氏がK氏に声をかけた。
「Kさん、昨夜はしっかり休めたようで良かったですね」
S氏はにこやかに言った。
K氏は少し驚いた。
S氏が自分の夜の行動を知っているはずがない。
「ええ、まあ。でも、なぜ?」
S氏は不思議そうな顔をした。
「だって、Kさん、昨日は相当お疲れの様子でしたから。いつもの『あそこ』に寄ったんじゃないですか?」
K氏は息を飲んだ。
「いつもの…あそこ?」
S氏は呆れたように言った。
「ああ、『意識の保健室』ですよ。我々が、疲労を限界まで溜め込んだ時に行く、あの隠された場所です。みんな利用してますよ。でも、なぜかそこでの記憶だけは、全員が綺麗さっぱり忘れてしまうんですよね」
K氏は、再び全身に強烈な疲労が襲うのを感じた。
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