J氏は屋根裏部屋の扉を開けた。
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
カビと埃の混じった、古びた匂いが鼻腔をくすぐった。
長年放置され、忘れ去られた物の残滓が、空間全体に沈殿している。
窓から差し込む夕日が、傾斜した屋根の小さな窓から、細く床を照らしていた。
時間は薄暮。
残された光は、曖昧な影を幾重にも生み出していた。
J氏は古いアルバムを手に取った。
埃を払い、ページをめくる。
過去の記憶の断片が、埃のように積もっていた。
ふと、壁に伸びる自分の影が、不自然に揺れるのを見た。
それは風ではない。
屋根裏部屋は完全に閉め切られていた。
影は壁から独立し、わずかに形を変えているように見えた。
まるで墨汁が水に溶けるように、輪郭がぼやける。
それは、まるで生きた塊のようだった。
J氏は目を凝らした。
錯覚か。
しかし、影はゆっくりと、粘性のある液体のように、壁から床へと這い降りてきた。
音はしない。
影は黒いシミとなって、古びた床板の上を滑る。
その動きは、何かを捜し求める、暗い生き物のようだった。
J氏の心臓が早鐘を打つ。
これは、ただの影ではない。
影は形を変えながら、J氏の足元へと、ゆっくりと確実に近づいてくる。
それは、触手を伸ばすかのように、あるいは闇そのものが集結したかのように、執拗に迫った。
J氏は恐怖に突き動かされ、後ずさり、背中を冷たい壁に打ち付けた。
逃げ場はない。
部屋は狭く、行く手を塞がれた。
影はJ氏のブーツに触れた。
ひんやりとした、だが不気味なほどの粘り気。
黒いシミが、J氏の足首を這い上がってくるのが、視覚と同時に感覚として伝わった。
まるで皮膚の下に潜り込むかのような、悍ましい感触。
J氏は声を上げようとしたが、喉が渇ききって、かすれた息が漏れるだけだった。
影は服の上からJ氏の皮膚に吸い付くような感覚を与えた。
それは、存在そのものを、ゆっくりと、しかし確実に吸い取っていくかのようだ。
J氏の意識が遠のき始めた。
影はJ氏の全身を覆い尽くした。
J氏の体は、徐々に影の中へ溶け込んでいく。
手足の感覚が薄れ、視界が黒く染まる。
自分の輪郭が曖昧になり、やがて消え失せる。
古い家具の影も、積まれた本の影も、全てが一つになった。
そして、J氏の体は完全に影と一体化した。
屋根裏部屋には、元々そこにあったかのように、新たな影が壁に張り付いていた。
それは、以前よりも少しだけ濃く、少しだけ大きく見える。
夕日が完全に沈み、屋根裏部屋は漆黒の闇に包まれた。
そして、その新たな影もまた、次の薄暮を、静かに、飢えたように待ち続けていた。
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