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ふしぎ

空の続きを打ち上げる

第 37 話 / 全 103 話 2026.09.30 07:07 配信 約4分で読める

打ち上げ場の夜勤は、案外、誰も志願しない。街のへり、高架の高速とメトロの車両基地に挟まれた細長い土地で、夜になると三方向から機械の唸りが聞こえる。足元を通るトンネルは、三時ごろになると換気のために温かい風を吐き出す。夏はその風が生ぬるく、地面が昼間の熱をまだ覚えているのだと、彼は思った。

彼の仕事は監視係だ。打ち上げそのものは、もう十年も前から機械がやる。火薬の湿気、風向き、気温、落下物の予測、すべてを管理システムが計算し、彼は画面を見ているだけである。手動で点火する権限は、彼にはない。ないことが、雇用上の条件だった。世界の安全のためだ、と契約書には書いてある。彼が干渉できるものは、冷蔵庫の中の弁当くらいだった。

管理画面の隅には、いつも「第○○○○夜」と表示されている。市の広報は、毎夜の花火を一つの長い物語の続編として売り出している。空の連載小説。打ち上げが中止になった夜も、回数だけは進む。続きを読ませないのに、ページだけはめくられる。彼はこの設定が、妙に正直だと思っていた。

三年前から、実証実験が始まった。最後の大玉が、その日の市街地の最高気温を色に変えて散る。三十度なら金色。三十三度なら橙色。三十五度を超える夜は、空が長いあいだ赤い。市はそれを「市民と共有する未来」と呼んだ。実際に共有されているのは、スポンサー企業のロゴのほうで、赤い光の中で、その文字だけが涼しげに光る。未来は丁度よく照らされている。

彼はこの仕事を選んだ。誰も志願しない夜を、あえて引き受ける者には理由がある。彼はこの街の温度が、年ごとに確実に上がっていることを、誰よりも早く知っている。ニュースより早く、学者より早く、足元のトンネルの風と、打ち上げ基準の年々の厳格化が、教えてくれる。綻びはここから見える。彼は見届けたいのだ。美しいと思う自分に、気づいている。

フェンスの外には、人が集まり始めていた。最初は夜遊びの客とカップルだった。去年あたりから、集まる人の顔つきが変わった。誰も話さない。スマートフォンも出さない。三十五度を超える夜、空が赤く染まる二十分間、ただ見上げている。祭りではない。抗議でもない。寄り添うでもなく、離れるでもない。都市の体温を、確かめに来る人々だ。

空の続きを打ち上げる 挿絵

その夜、管理画面が赤い文字を表示した。「本夜の打ち上げ、なし」。風は基準内、気温は基準内、火薬の状態も良好。理由欄は空白だった。不明の中止は初めてだった。彼は規定どおり、上席に連絡した。応答はなかった。夏の夜の十一時、組織の多くは、冷房の効いた場所で眠っている。

空になにも上がらない夜は、奇妙に静かだった。いつもの時間、いつもの大玉の位置、ただ、そこに何も起きない。街の灯りだけが、無味乾燥に瞬いている。見に来た人々は、ざわめきもしなかった。ただ、待っていた。

十一時二十分、天気が変わったわけではないのに、空は赤くなった。排気、熱、照り返し、こもった光。都市が、花火なしで、自分の体温を上げ始めていた。花火師の誰も計算できなかった、完璧な散り方だった。赤はゆっくりと滲み、街の稜線を溶かし、見上げる人々の顔を、祈りに似た色に染めた。

誰かが拍手した。一人、また一人と、静かに、拍手が連なった。賛美とも送別ともつかない音だった。彼はフェンスの外を見渡した。人はいつもの倍いた。明日も来るだろう。花火のない打ち上げ場に、人は集まるのだ。

管理画面が、来週分のスケジュールを表示した。「全夜、条件を満たさず」。それは打ち上げの終わりを意味したが、連載の終わりを意味しない。続編は、もう誰の手にも書かれていない。それでも毎夜、回数は進み、空のページは赤く染まっていく。

足元から吹き上がる風が、いつになく熱かった。トンネルの奥を地下鉄が通るたび、打ち上げ場のコンクリートが、低く、かすかに鳴る。貯蔵庫の中の火薬は、今夜も誰にも使われないまま、眠っている。それでも彼は明るさの中に立ち続けた。明日の回数は、第何夜になるのだろう。そして、その空を、誰と数えるのだろう。

夜
毎日ショートショート編集部

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